SSブログ

『男おひとりさま道』 [☆☆]

・10年ほど前に、現役の高槻市長が、妻の介護のために市長職を辞したという報道があった。美談として報道されたようだが、市長としての責任は、要介護状態の家族がいても、誰もが安心して働き続けられる仕組みづくりにあると思うのだが。自分が率先して辞めるようでは、自分のところの自治体に、家族介護に代わる安心の仕組みがないということを、自ら認めているようなものだ。

・かけがえのない妻という「重要な他者」を、たんに「便利な他者」と考えて、とりかえ可能だと思う人(ほとんどが男性だ)も多いらしい。

・「不便だろ」という理由で再婚をすすめる友人たちだれかれの顔を思い浮かべながら、彼らにとって結婚とはその程度のものだったのか、と憮然たる思いがある。

・サクセスフル・エイジング(成功加齢と訳す)は、アメリカ生まれの概念。老いを拒絶する最たる思想だ。定義は「死の直前まで中年期を引き延ばすこと」。

・男は女になる可能性がないから、平然と女性差別ができる。障害者になる可能性も小さいと思っているから、障害者差別ができる。自分が認知症になる可能性がないと思っていられる間だけ、認知症のお年寄りに生きている値打ちがない、と言い放つことができる。

・ひとりで「おさみしいでしょう」は、ひとりでいられないひとが、ひとりでいなければならないときのせりふ。

・人間は社会的で集団的な生きものだといわれているが、集団でいるのがキモチよいのは、キモチよいひとたちとともにいるときだけ。キモチわるいひとたちと一緒にいなければならないのは、拷問に近い。

・居場所とは、ひとりでいてもさみしくない場所のことである。

・見かけは豪華な施設にも、「拘束」(手や身体を縛ること)のような高齢者虐待があることは知られている。理由はかんたん。ケアというサービス商品は、利用者と購買者が一致しないからだ。

・購買者は誰か、といえば家族のこと。高齢者を施設に入れた家族にとって、最大のサービスとは、高齢者を家に帰さないことだ。

・家族さえいなければ、いや、もっとはっきり言おう。子供さえいなければ、在宅でヘルパーさんに来てもらう敷居は高くない。

・能力の価値は、ニーズと合致したときにだけ評価される。必要もない能力をひけらかしても、イヤミなだけ。要求があったときに発揮すれば、重宝がられるし、頼りにされる。

・「教える」とは、相手に「教わる」キモチがあるときしか成りたたない行為であると、肝に銘ずべし。

・病院死では、スパゲティ症候群(輸液ルート、導尿バルン、気道チューブ、各種モニタなどを体中にさしこまれた重症患者の状態をいう)といわれる終末期の過剰医療が起きたり、家族の目の前で心肺蘇生術が行われたり、場合によっては、集中治療室に運び込まれて、家族が追い出されることすらある。これでは別れを惜しんだり、哀しむ場もない。

・病院死は「近代化」のシンボル。遺族が最後まで全力を尽くしました、というアリバイ工作に使われる。

・保育所の待機児童をゼロに、というかけ声は聞かれるのに、特養の待機高齢者をゼロに、とは聞かれない。



男おひとりさま道

男おひとりさま道

  • 作者: 上野 千鶴子
  • 出版社/メーカー: 法研
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 単行本



タグ:上野千鶴子
nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

トラックバック 0