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『私はのんびり生きてきた。 最適化社会が不幸を生む』 [☆☆]

・短時間で私に直接、効果がもたらされる。これがいまの「売れる本」の要素なのだ。

・ある新書編集者が新聞で断言していたことがあった。「いま求められているのは、1時間で読めてあとに残らない本です」

・精神科医というのは、「成熟したオトナなんて面白くない」と考え、「病んだコドモ」にしか興味がない人間である。

・企業などにいた人は、同期入社の人たちが横並びで10年で係長、15年で課長……と、自動的に昇進していく。「どうやれば抜け駆けできるのか」と知恵を絞ってもムダだということは、そうする必要はない、ということでもある。だからこそ、みんな仲良く、同僚どうしで野球をしたり釣りサークルを作ったりもできたのだろう。

・私たちは知識や情報を得たいためだけに本を読むのではないはずだ。たとえば、私の場合なら、読書の最大の目的は、「目の前の現実からの逃避」だ。

・同僚が気候のこととか前の日に見たテレビの話なんか口にすると、「ムダな話ばかりして」と思ったんです。でも、そういう一見、ムダな時間とかコミュニケーションからしか、心のゆとりって生まれないんですね。これまで全然、気づかなかった……。

・朝活で得られるものの8割、いや9割は、情報や知識ではなく、「オレってイケてるグローバルなパワーエリートさ」といった「気分」なのではないだろうか。

・話をすり合わせよう、とにかくひとつの結論に持っていこう、としすぎないこと。お互いすれ違いの会話だって、話すことに意味がある、とハラを決めること。これが「しがみつかないけれど役に立つ会話」のコツなのである。

・混乱した社会では、困難に直面したときに人がほしいのは、「どれだけお役に立てるかどうかわからないが、いっしょに考えましょう」といった頼りないサポートではなく、「私にはあなたにはない能力がある。その私が保証するのだからこれさえやれば大丈夫」といった「高みからの声」なのだろう。

・なるべき相手の関係をうやむやなままにしておいて、すぐに白黒つけない。これが、夫婦円満、恋人円満の最高のコツではないだろうか。

・「親の育て方次第で、子供はいかようにも変わる」などというのは、単なる親の傲慢でしかないことはたしかだ。

・うつ状態になると多くの人は客観性を持てなくなるものだが、ペットロスの人たちの客観性のなさといえば、もうケタはずれだ。

・「もう年だから」と言いすぎる人、「年なんて関係ない」と言いすぎる人。どちらも、結局は年齢にしがみついている人なのだろう。いつも頭の中で、「私の実年齢は何歳」、でも「精神年齢は何歳、そして見た目年齢は何歳」などと年齢の計算ばかりしているからこそ、すぐに年の問題が頭に浮かぶのだ。

・だいたい健康保険のきかない、1回1万円以上もする治療法は、医学的には効果が立証されていないと思ったほうがよい。

・アメリカには、健康オタクを皮肉って「健康のためなら死んでもいい」というフレーズもあるそうだが、「副作用がないなら効かなくてもいい」とも言い換えられる。

・「これさえやっていれば大丈夫」と過剰に安心させるのも、逆に「これをやらなければたいへんなことになる」と不安をあおり立てるのも、どちらにしても信憑性はあまりない。

・人生、最適化していけば、最終的に待っているのは、「いちばんのムダは自分以外の人」ということになる。最適化人生の果ての、「人生ひとりぼっち」。



私はのんびり生きてきた。

私はのんびり生きてきた。

  • 作者: 香山 リカ
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2011/04/27
  • メディア: 単行本



タグ:香山リカ
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