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『だから人は本を読む』 [☆☆]

・人から影響を受けるように努めれば、自ずと人に影響を与えるようになる。

・私という人間は今まで読んだ本を編集してでき上がっているのかもしれない。逆にいえば本によって編集されたのが私なのだ。

・社会に出た後は、「覚える」よりも「知る」ことが多い。

・先端医療が発達すればするほど、生と死のはざまは、あいまいになってきてしまう。ほとんど死ぬような状況の中で生きている、あるいは生きてはいても、ただ生かされてはいても、ただ生かされているだけの状況もあるようだし、死と生というのはだんだん曖昧になっているようだ。

・ベストセラーは出るけれど、二~三年するとその本のことを誰も覚えていないのが現状のようだ。

・情報は、情報が集積しただけでは、「雑学」の域を超えることはない。

・雑学は「一問一答」的に設定された問いに「正解」を与える能力のことである。「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。しかし教養は、「まだ知らないことにフライングする能力である」。

・古典をそらんじている教養を共通して身に付けているということが、互いの能力や考え方への信頼感になっているように思える。

・古代ギリシャの哲学では一時間、二時間というふうに数値で測れる時間をクロノス(chronos)といい、そして数値で測れない質的な「時」をカイロス(kairos)といったそうだ。

・おそらく十九世紀以降、価値と価格の関係が混同されるようになったように思う。価値が高ければ価格は高いのか。あるいは価格が高ければ価値は高いのか。

・価値のように目に見えないものをどのように判断していくのか、そこには「知」のものさしが必要なのではないだろうか。

・インターネットに蓄積されている記憶だけを頼って、「本を読まない」ようになった人間の頭は空っぽで、与えられるものを享受するだけの存在になってしまうのです。一方、彼らに情報を与える側は、必ず本を読んでいますから、頭の中にはしっかりとしたネットワークが出来上がっている。この二分化がさらに進めば、本を読まない圧倒的多数は本を読む少数によって、知らない間にコントロールされてしまう。

・自分の意志で自由に選んでいるようでも実は、予め決められた選択肢の中から選んでいるに過ぎない、つまり選ばされている。結局はコントロールされているのです。

・自分がこの本の中に何を見出すか。本は読むまで気がつかなかった自分の一部につながる「外部装置」だと思う。

・ミュージアムの使命は儲けることではなくて、人々に影響を与えること、世の中を変えていくこと。

・自分自身を磁石として集まってくる内容は、必ずあなたを形作る一端を担っているはずだし、それが仕事に関係していようが、趣味についてであろうが、大切なものだ。

・必ずすいた電車に乗るために採るべき方法はきわめて平凡で簡単である。それはすいた電車の来るまで、気長に待つという方法である。

・細切れの刻々の情報だけで一喜一憂する日本人が増えてしまえば、対極でものを見る見方、現象を抽象化する能力、多種の出来事を構造として考えるような力がなくなってしまう。それでは戦略あるいは構想する能力は絶対に生まれるはずがない。

・テレビとか、インターネットの影響といわれるが、そのように外に責任転嫁するだけでは何も解決しないだろう。

・これから先は、不特定多数のお客さんがふらっと立ち寄るということではなく、あるジャンルの本を求める買い手に、そのジャンルのカタログをお届けするというような、ワン・トゥ・ワン(one to one)マーケティングの時代に変わりつつある。

・利用者の求めに応じて、その時のベストセラーや売れ筋の本を揃えることに奔走しているが、はたして図書館とはそういうものなのだろうか。今、書店で買えるけれども、その一冊分の本代を惜しんで買って欲しいとリクエストする声に応える施設が、図書館なのだろうか。

・図書館はベストセラーを公費で買うための施設ではないという意見にも、共感するところが多かった。

・世界中で、世の中はルールを作るグループと、そのルールの中で競争し、あるいは単純にゲームを楽しむ人々の二極にわけれつつあるようだ。



だから人は本を読む

だから人は本を読む

  • 作者: 福原 義春
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2009/09/11
  • メディア: 単行本



タグ:福原義春
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