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『失敗学 デザイン工学のパラドクス』 [☆☆]

・「必要は発明の母」というが、発明の母になるのは必要ではなくて欲望である。

・ある道具の使用またはあるシステムの動作に関する不満や失望が、ひとつの挑戦をテーブルの上に置いて言う。この物を改良せよ、と。

・橋の場合には、十九世紀中ごろ以来、重大な崩落がほぼ三十年ごとに起こっていて、それが現千年紀にまで続いているという、驚くべき時間的な型が見られる。

・顕著な崩落はすべて、より基本的に慎重な失敗の予想と回避によらず、過去の成功例にもとづいてデザインした結果であった。

・パワーポイントを使う話者によく見られる態度は、観衆が見るようにスライドを見るのではない、つまり、大きなスクリーンに投影されたものではなく、講壇の上のコンピュータ・スクリーンを見ているのである。話者はコンピュータ・スクリーンにだけ話し掛けているばかりか、そのスクリーン上の箇条書きと画像に集中している。話者の多くはまた、パワーポイント・スライドを一字一句読み上げるだけ。

・新しい形の技術が実際に働くのを見るのには驚異の感覚があるが、その感覚はやがて退屈に席を譲る。

・新しい技術は当然古い技術を駆逐するが、古い技術がもはや容易に利用できなくなると、新しい技術は古い技術を機能の面でも用語の面でも摸倣するものだ。

・技術進歩というものには、一般に完成をめざす傾向があるが、決して完成には到達しない。つねになんらかの改良しうる余地がある。

・失敗とは、期待された性能と実現された性能とのあいだの受け入れえない差である。

・デザイナーたちは普通、人間を介させる必要を減らすことはできても、なくすことはできない。

・エンジニアたちは、容易な作業を自動化し、困難な仕事は人間に残しておくのが普通だ。

・ものごとを「まぬけでも間違えないように」することはできるかもしれないが、「ばかでも間違えないように」することはたぶんできないぞ。

・発明家とは、「世界をあたかもその中のすべての物が修理を要するように見る」という特性を共有している。

・在来動力の「旧型」自動車の信頼性はすでにかなり高くなっている。このことは、われわれが米国の州間ハイウェイを何百マイルもドライブするごとに、道端に走れなくなった車を一台とて見ることがないことから明らかなところである。

・ブラジル人とは、一般には、その国民を規定する性質の集合を意味すると理解されているが、実は、アルゼンチン、ポルトガル、米国──ブラジル人が自分を対立させて規定することが重要だと感じた三つの大国──と区別するものだった。

・磁気共鳴造影(MRI)検査は使用上、完全に安全だと信じられているが、ある条件下においては死をもたらしかねない。ひとりの女性は動脈瘤クリップを脳の中に埋め込んでいたが。MRI処置を受けた後で死亡した。

・巨大さには魅力があり、通常の芸術理論がほとんどあてはまらないという、ほかにはない喜びがある。

・もし、公共政策の目標が、すべての市民に平等に関心をもつことにあるのならば、きわめて確率の低い事件に過剰な関心をもつというのは責任ある政府のすることではない。



失敗学―デザイン工学のパラドクス

失敗学―デザイン工学のパラドクス

  • 作者: ヘンリ ペトロスキ
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本



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