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『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』 [☆☆]

・統制するというのは安易な考えである。何かが道から外れてしまったと思っているがそのことを考える時間もエネルギーもなく、何かを「する」しかないと考える人たちを安心させる。

・実際、いわゆる権威に頼る解決策では問題を悪化させることはあっても改善することはない。そのことを示す証拠は山ほどある。

・船の「乗組員」の一人だと思っている子供はいくらもいるが、自分の船の船長だと思っている子供はめったにいない。

・正しい問いは「他者をどのように動機づけるか」ではない。「どのようにすれば他者が自らを動機づける条件を生み出せるか」と問わなければならない。

・人は基本的に受動的な存在であり、報酬を獲得するか罰を回避する機会を提供する環境からの誘いがあるときだけ、人は反応を起こすというわけである。

・絵を描くことの目的は、絵を完成させることにあるのではない。絵が描くことの結果として生じるならば、絵はしたことのしるしとして役立ち、価値があり、興味深くもあるだろう。しかし、それはあくまで副産物にすぎない。真の芸術活動の背後になる目標は、存在の本質的状態に到達することである。それは、高い次元で活動している状態、普通に存在している以上の状態に達することである。

・内発的動機づけとは、活動それ自体に完全に没頭している心理的な状態であって、(金を稼ぐとか絵を完成させるというような)何かの目的に到達することとは無関係なのである。

・人はいったん報酬を受け取り始めると、その活動に対する興味を失うのである。そして、報酬が打ち切られると、もはやその活動をしたいとは思わなくなるのである。

・練習すべき時間の量を特定し、それだけしたかどうかに応じて報酬の提供を約束するシステムが、彼女を練習させやすくさせた。しかし、練習の場面では同時に別のことも起こり始めた。彼女は時計を気にするようになったのである。もはや、彼女はバイオリンを弾くこと自体への興味を失い、その代わりに練習時間をやりおえることに関心をもちはじめたのだった。

・なぜ、彼らは解雇されないのか。なぜなら、共産主義の体制下では、すべての人が職につく権利をもっているというのが国是だからだ。給料はみじめでも、ともかく保証されている。

・銀メダルに輝いたフィギュアスケートの選手を、コメンテーターがあたかも演技に失敗して失望しているかのように語るのには驚いてしまう。世界第二位のスケート選手を、彼はあたかも敗者であるかのように扱ったのである。

・もちろん、有能感と自律性の感覚の両方が欠けている場合には最悪である。そのようなときには、抑うつ(無気力になり、絶望感を感じたり、場合によっては自殺にまで至るような心理状態)などの精神的障害が生じやすくなる。

・人が自律的に生きているかどうかの鍵となるのは、自分自身の選択で行動していると心底感じられるかどうかである。

・かたくなにルールを取り入れるのは、効果的に自分の役割を果たすための内在化プロセスに失敗したことの現れである。

・他者に責任感をもつよう期待するのなら、まずわれわれ自身が社会化の担い手としての責任を受け入れなければならない。

・他者から認めてもらおうと必死になって、取り入れを完全に受け入れたとき、彼らはほんとうに自分らしいと感じられることが何もなくなり、しかもそのことに気づきもしないのである。

・何らかの社会的な単位──たとえば家族とか社会──の一員になることに伴う危険の一つは、ほんとうの自分というものをあきらめたり隠したりするように、強制される場合があることである。

・自我関与していると、自分が他者にどう見られているかが焦点になる。そのため、自分が勝っているか負けているかがたえず気にかかる。たとえば、成績に自我関与している少女は、他のクラスメートのテストの成績をたえずチェックし、そうしてはじめて自分が「まずまずの」できだと知ることができる。

・自我関与は内発的動機づけを低減するだけでなく、誰もが予想するように、学習や創造性を損ない、柔軟な思考や問題解決を必要とするあらゆる課題での作業成績を低下させる傾向がある。

・自我関与している人は融通がきかず、効果的な情報処理が妨げられ、問題に対する思考が浅く表面的なものになる。

・太ったままでいる勇気があれば、やせることができますよ。

・減量に成功したいなら──あるいは、何であれ何かの行動を変えたいのなら──、自我関与をやめることからはじめればよい。取り入れられた規範との権力闘争から抜け出し、闘争の結果として必然的に起こる自己嫌悪感から脱することからはじめればよい。そうすれば、「やせることができる」のである。

・仕事のやり方を選択させることは、仕事の内容について選択させるよりも容易である。

・自律性を促進しようとするとき、どこで自分の権利が終わり他人の権利が始まるかについての理解をうながすことが重要である。許容範囲を設定することは、権利と社会的制約を伝える方法であり、人々が責任をもって選択することを学ぶ助けとなる。

・許容範囲を設けることは「規則」をつくることであり、「規則」を守った結果や「規則」に違反した結果が理解されていることが重要である。

・どのような評価過程においても、実績が基準に満たないとき、その状態を批判の根拠ではなく、解決すべき問題と見ることが重要である。

・人が自律的にふるまい、変容への試みが成功する高い可能性があるのは、その人が変容を是認しているときだけ。

・しかし、行動には心理過程が介在しており、生理過程が直接行動を引き起こすわけではない。ほんとうに克服しようと思うならば、遺伝的な特性も乗り越えられるのである。

・医者が助言者から支配者へと一線を越えることは行き過ぎなのである。それは患者に属する責任を奪うことになるのである。

・魂を見失って、反乱に加わろうと必死に指導者たちをまねる者もいた。怒れる者とさまよえる者が共々に行進した。

・権力者が言ったからというだけで権力者の言うことに反抗するのは、無責任である。しかし、まったく同じ意味で、権威であるからという理由だけで権威に服従することもまたたしかに無責任である。



人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

  • 作者: エドワード・L. デシ
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 1999/06/10
  • メディア: 単行本



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