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『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』 [☆]

・全人類が有史以来常に「心身問題」への興味を持っていたわけではない。むしろ、ほとんどの時間、誰も関心を持っていないと言ってもいい。

・この宇宙で最もグローバルに定義されている規則、それは物理法則だろう。素粒子から宇宙全体まで覆い尽くす非常にグローバルなコードだ。一方、最も私的、プライベート、ローカルな事例というのは、結局のところクオリアだろう。

・クオリアの大きな特徴の一つは、それがなくても規則=物理には全く問題がないほど、規則と無関係な対象であることだ。

・「交換」という事が起きるとき、非常に僅かな時間であるが、お金も物も「両方が片方にのみある状況」を作らざるを得ない場合がほとんどだ。日常生活では、このような交換の隙間はあまり露呈しない。

・確率や信用が「数値」として使われる場合、そういう潜在性を可能性に変えてしまう。「そんな可能性はない」とは言うが「そんな潜在性はない」とは言わない、あるいは、そのような違いが意識されないのは、日常の言語の中で、すでに潜在性が可能性に封印=変換されているからだろう。この封印=変換を、ここで改めて「信用」と呼ぼう。

・「交換」は遅延を伴う。そして、遅延は潜在的な事件を含む可能性を増す。それは決してゼロにはできない。しかしゼロにしたい。もしくはゼロとして扱いたい。そういう要望がある時、「信用」が必要になる。

・友人同士の会話の中で、「ださい」であるとか、「しょうもない」であるとか、「くだらねー」であるとかそういった、否定の言葉をさりげなく用いることで、ある種の力関係を作り出すことができる。

・ことあるたびに、確信を匂わせ、侮蔑や嘲笑を口にした。すると、それが主観を超えた客観的な物差しとなり、相手との立場の違いを明確にすることがよくある。「あの男は、何らかの基準を持ち、判定ができる人間なのだ」と他の人間たちが認めてくる。

・ある集団の中で、「価値を決める者」というポジションに立てば、あとは楽だ。野球やサッカーのように明確なルールなどないというのに、友人たちは、王子の判定を、審判のそれのように気にかけてくる。

・承認されたいという要求は、群れ行動する動物が、群れにうまく属していない事に対するアラームであるという説がある。つまり、群れのメンバーとして位置づけされていないという恐怖だ。

・ラフマニノフという作曲家によるピアノ曲にはものすごく難しい和音の指示がある。その和音を瞬時に弾くのは素人目には難しそうだ。あらゆる分野で、このような「可能性の限界」に対する追求は行われる。

・非常に駄目であったり不幸であったりする人生。それは神にとっての超絶技巧であっても、人間の目には単なる不幸や能力不足だ。

・心の問題、とは要するに見えないもの、一人だけしか知らない事に関する問題とも言えるが、それが丸見えだと、「心」はなくなる。

・未来はすでに終わっていて、それを「まだ」見ていないが、それは「すでに」ある。ちょうど視界の外が見えなくとも存在するように。



魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)

魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題 (講談社選書メチエ)

  • 作者: 西川 アサキ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/12/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



タグ:西川アサキ
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