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『「片づけなくてもいい!」技術』 [☆☆]

・リビングルームのローテーブルの下に1年間放置してある雑誌と、本棚に1年間並べたままの雑誌を想像してほしい。どちらも「読まない本(使わないモノ)が淀んでいる」という意味では、同じことと言えないだろうか。

・一見、出しっぱなしだけれども使うモノがたまたま(長期間であっても)出ているだけの状態と、一見も出しっぱなしだし実際にも使っていないモノがずっと出してある状態とを、しっかりと区別してほしい。

・呼吸法の基本は、しっかり息を吐ききること。しっかり吐けば、おのずと深く息が吸える。

・サルのように、一度使った棒は打ち捨て、新しい木の枝を探して穴を掘るのではなく、道具として自分のモノにしたときから、「片づけ」という作業が必要になった。

・人は見えないところにしまった物は忘れる。

・家の中は壁だらけだ。人の住まいは、壁でできている。

・家の中は上だらけだ。下駄箱の上、テーブルの上、テレビ台の上……。あらゆるとことに「上」がある。そして、その「上」は、「この上に物が置けるよ」とささやくのだ。しかも、上に置かれたモノは「上」を再生産する。いま「上」を作っていた古新聞の一番上は、次に雑誌を載せると、もう「下」になる。そして、雑誌が新たに「上」になる。

・身分の高い人が亡くなったとき、「お隠れになった」と表現する。つまり、隠れるは「死ぬ」、隠すは「葬る」という意味なのだ。こうして考えると、モノを隠す=モノを死なせる、と言えるんだなあ、と妙に納得するではないか。

・「見せる収納」として、普段は使わない銅のフライパンやかっこいいお玉を飾るほうが、ずっと空間はごちゃごちゃする。いくらかっこいいデザインの雑貨でも、そこにある必要がないものを並べると、センスが悪く見える。

・ブランド品の靴やカバンは、ブランド名の入った箱に入ってくる。いいものは、箱に入ってやってくる。箱を見ると、なんだか幸せな気持ちになるのは、だからだろう。ちょうど冒険物語の宝箱のように、箱はそれ自体が「いいもの」の象徴なのだ。

・きれいな缶でもブランドの箱でも、きれいなだけになぜか入れるモノをえり好みしているうちに、空気だけを入れておく器になっていくのだ。

・人は隙間があると物を詰めたくなる。人類の歴史において、隙間は風や雨水、虫や獣といった自然からの脅威が入り込む入口であっただろう。だからこそ、それを塞ぐと安心し、「やったぞ」という喜びを得るものなのかもしれない。

・合理主義者の欧米人には、この隙間が収納スペースに見えるかもしれないが、日本人の私には美しい「余白」に見える。

・家庭の法則として、「家にいた人が気づかないことも、外から帰ってきた人は気づく」ということがある。片づけしかり、家のニオイしかり。気づいてしまうから、つい文句を言いたくなる。そして往々にして外から帰ってくるのは夫だから、「夫が帰ってくるのがうっとうしい」という妻が増える。

・一時的な好意で人と人がつながることがあっても、それは好意にすぎないからすぐに途絶える。リアルであろうとネットであろうと、責任を伴わないつながりには、孤独を癒す力はない。

・しっかりとしたつながりがほしい。誰かに私のことを気にかけてほしい。私も誰かの力になれると感じたい。そこからしか、生きる実感など得られない。





「片づけなくてもいい!」技術 (宝島社新書)

「片づけなくてもいい!」技術 (宝島社新書)

  • 作者: 辰巳 渚
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2011/06/10
  • メディア: 新書



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