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『「やりがいのある仕事」という幻想』 [☆☆]

・世の中には、「権利には義務が伴う」という言葉があるけれど、実際には、基本的な人間の権利(人権)は、なにかの義務と交換するものではない。誰にでも無条件で認められる権利のはずだ。

・そもそも、就職しなければならない、というのも幻想だ。人は働くために生まれてきたのではない。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。

・番組も授業も「楽しさ捏造」のために間延びするから、本当にそれを知りたい子供や若者は、じれったくて引いてしまうだろう。

・算数の楽しさを知ろう、科学は面白いものだ、というような台詞が教育の世界では溢れかえっている。子供たちが笑えば成功、それで好奇心が育つなんて大人たちは夢を見た。

・凡人には仕事を「選ぶ」ことしかできない。天才と呼ばれる人たちは、それまでになかった仕事を自分で創造している。

・人と話すことが好きだ、という人は、自分が話すことが楽しいと感じている。こういう人は、相手からは、よくしゃべる奴だと思われている場合が多い。

・自分は思っていることをなかなか話せないという人は、相手に対して、よく話を聞いてくれる信頼できる人という印象を与えやすい。

・「どうなるのか」を見ている人は少なくて、みんな、「こうであってほしい」「こうなってほしい」という見方をしているのだ。新しいものに対しても、「いや、そんなものが台頭してもらっては困る」というふうに見る。

・コンテンツを作り出す仕事は滅びることはない。新聞もテレビも、危ないのは新聞社とかテレビ局というハードであって、ジャーナリズムとか、エンタテインメントを創造するソフト面では、まだまだ生き延びられる。

・日本で一番若者を大勢集めるイベントは、ロックのライブでもない、スポーツでもない、もう何十年も続いている同人誌即売会だ。

・もうこの商売では儲からないとわかると、今まで儲かっていたことを宣伝して、その商売自体を売ろうと考える。本当に儲かる商売ならば、ノウハウを公開したり、人を集めて指導したりしない。教えないこと、知られないことが、儲かる状態を続ける最善の策だからだ。

・辞めてしまう人は、もともとは長く勤めるつもりで就職先を選んでいる。長くそこで働きたいと思っているからこそ、ちょっとしたギャップを見過ごせないのだ。たとえば、三年間働こうと考えての入社だったら、きっと我慢できただろう。

・一言でいえば、「楽しくてしかたがない、なんて仕事はない」である。そんな仕事があると主張する人には、「では、給料はいらない?」ときいてみよう。

・仕事をしていて楽しいと感じるのは、「これでお金がもらえるんだ」と思い出したときだろう。

・同じことを、大学受験で血眼になっている予備校生たちに言ってみると良い。「成果主義で、みんな自分のことでいっぱいいっぱいに見えるが、もっと朗らかで楽しい予備校にするには、どうしたら良いですか?」と尋ねてみよう。たぶん、「煩いから帰ってくれ」と全員から言われるだろう。それは、予備校に通っている若者が、既に、自分の目標をしっかりと認識しているためだ。

・ついつい、学校のように、すべて教科書があって、先生が教えてくれるものだ、と勘違いしてしまうのが、この頃の若者の傾向である。

・相談と言いながら、何が良くて何が悪いのかという論理や意見を聞きたいのではなく、ただ「頑張れ」「大丈夫だ」「君ならできる」と応援してほしいのである。

・情報化社会において人は、自分の思うとおりにならないのは、なんらかの情報を自分が「知らない」せいだ、と解釈してしまう。

・必死になってネットを検索するのも、また、友達の話や、たまたま耳にしたことを簡単に信じてしまうのも、「知る」ことで問題が解決できると信じているせいだ。





「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書)

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