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『伝統の逆襲 日本の技が世界ブランドになる日』 [☆☆]

・供給過剰を承知で「もの」をつくりつづけることは、もはやナンセンスだ。なぜなら「もの」の大量生産は、資源をゴミに転化させるという理不尽な行為に他ならず、生産された「もの」が愛着を持って長く使われることはありえないからである。

・「自分たちがつくっているものが何であるのか」「自分たちがつくりたいものが何なのか」ということも、実はわかっていなかった。「顧客主義」や「お客様に聞きましょう」を標榜していたのは、自らのアイデンティティの欠如を隠すための方便にすぎない。

・元になった技術は外来のものでも、自家薬籠中のものにして換骨奪胎し、オリジナルへとリファインするのが日本文化の特質だ。洗練を重ねて、伝わってきた当初とはまったく違うもの、違うレベルにしてしまう。

・工芸品の難しさは、つくり手側の勝手な理屈で価格が決まってしまうことと、土産物のような実用性の低いものになってしまうことだ。

・日本の職人は、冷遇されるか、ありがたさのあまり一気に人間国宝まで上り詰めてしまうかの両極端で、本来持ち得ているポテンシャルをうまく生かしているケースは皆無といっていい。

・日本では職人たちが何をしているか、外部からうかがいしることはできない。わかっているのは本人たちだけである。情報がほとんど発信されないので、尊敬のされようがない。

・「切り捨て文化」とは何か。たとえば、「もの」や要素がたくさんある中から、必要でないものをどんどん切り捨てていく。そして何もなくなったところに本質が現われる。

・「もの」においては、機能であれ装飾であれ、足していくのは簡単だ。しかし何を切り捨て、何を省いていくのかを決めることは一般に難しい。これは仕事全般にいえることだし、人生でも同じかもしれない。

・単に機能や要素の少ないものをつくれば、プリミティブで幼稚なものになってしまいかねない。それが怖いから、あれもこれもと言い訳のように付け加えて複雑になる。

・日本でシンプルな携帯電話が売れないのは、残すべき強いコアがないからだと思う。

・シンプルで使いやすい「もの」をつくるには、強力なコアになる部分があって初めて、他を「切り捨てる」価値が出てくるのだ。

・私たちは0.5ミリ、0.1ミリというレベルで考えるのだが、1インチは2.54センチであり、それ以下は分数表記になって非常にわかりづらい。設計図には36分の何インチなどと書かれている。アメリカがインチ表記を続けている限り、緻密な「ものづくり」は難しいと思う。

・アメリカ製品が総じて大雑把につくられている最大の理由は、インチという単位にある。あまり指摘されていないことだが、特徴的なことだと思う。

・日本人は全体を見て、何が大切なことなのかを知る。そして自分はどういうポジショニングにあるかを見きわめる。さらに自分が何かを我慢して、犠牲になることで「大切なこと」に寄与できる、あるいは「大切なこと」をつくりだせるということを感覚としてわかるのである。

・日本人はその「切り捨て文化」ゆえに、自分にとって一番重要なこと以外を切り捨てることができる。コアとなる価値だけを生かして、他を犠牲にすることができるのだ。

・イタリアの中小企業に特徴的なことは、輸出を前提に経営をしている点である。従業員が50人に満たない企業でも、5割以上が輸出をしているというデータもある。

・ところが、たとえば行政から補助金が出ると、今度はそれが最終目的になってしまう。補助金を得るために「もの」をつくりはじめるのだ。地場産業振興の99.9%がそうなっているといって過言ではない。

・国内で地道に販売するよりも海外で話題になるほうが、日本でも早く浸透する。海外で認められたものは無条件で受け入れる悲しい習性が日本人にはあるからだ。

・与えられた問題に対して解決策を探しだす人は、大企業ともなれば山ほどいる。その能力がないと入社試験に受からないということなのだろう。反面、問題を「生み出す」人がいない。ここが日本のビジネスシーンで大きく欠けている部分である。仕事を進める上では、問題を生み出す――平たく言えば質問する人間が必要。

・「魚は水が見えない」という言葉もある。泳いでいる魚は水の中にいることを知らなくて、私たちは水面の上から見ているからこそ、魚は水の中にいるとわかる。





伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日

伝統の逆襲―日本の技が世界ブランドになる日

  • 作者: 奥山 清行
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本



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