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『迷惑行為はなぜなくならないのか?』 [☆☆]

・ポイントは「多くの人が不快を感じる」かどうかであって、法律違反である必要はないし、実害が生じる必要もない。

・多くの人は、「自分も不快なら、きっと多くの人も同じ気持ちだろう」といった、予測されたコンセンサス(社会的な同意)に基づいて、周囲の人の感情を推し量っているのである。

・クーラーを寒いと感じる学生は、1枚余分に羽織ってくることを心がけて、お互いが気持ちよく授業できるよう、配慮してください。そういうのも、暑く感じる人に迷惑をかけないことだと思います。

・「何が正しいのか」といった議論は、イデオロギーや理想論と結びつきやすく、研究テーマとしてなじまないからである。思想や主義主張に基づいた「正しさ」は、科学研究ベースにはなりにくいのである。

・多くの人は、まわりがどういう行動をとっているのかを瞬時に見て、それに従うはずである。しかし、ここで見落としているのが、「他の人も何が正しいのか、本当のところはわかっていない」という点である。

・水を流す力の弱い水洗トイレが当たり前の国の男性は、おそらく非常に戸惑うだろう。「使った後のトイレットペーパーをいったいどこに捨てればいいんだ? 汚物入れはないし、でも流したら便器が詰まってしまうし、これは困ったなぁ……。まぁ仕方がない。できるだけ目立たない隅っこにでも置いておこう」とでも思うのではなかろうか。

・電話が各家庭につながり始めた明治時代、「電話線を通じてコレラが広がる」といった騒ぎが起きたという。現在では笑い話レベルである。しかし、携帯電話とペースメーカーの関係うんぬんも、もしかしたら同じようなものかもしれない。

・モンスターペアレントという言葉がクローズアップされてきたのは、1990年代後半くらいからであった。このとき、10~15歳だった子供の親の年齢は35~40歳前後である。まさに1980年頃に義務教育を受けていた世代で、当時は校内暴力が吹き荒れていた時期である。この世代のうち校内で暴れていたような人は、親になっても、教師をナメている人が多いのではないだろうか。彼らが、若い日の言動そのままに、教師を威嚇したり、学校に無理難題をねじこんでいることは、十分に考えられる。

・安価な飲食店の接客でさえ、諸外国と比べて一流である。それはありがたいことで、素晴らしいことだという認識を持っていれば、店員に過度なサービスを求めない。しかし、それを「当然だ」「金を払ってやるんだから丁寧に接客しろ」などと思うから、おかしくなるのである。

・ツイッター騒動の当事者たちは、「みんな喜んでいるみたいだから」と思い込んでいる。自分の想定する「みんな」が、ごくごく特殊な人であることに、気がついていないのである。

・ツイッターは「バカ発見器」と揶揄されるほど、非社会的な行為をさらす事案が後を絶たない。

・「高級店じゃないし、こんなもんだよな」と、生暖かい目で見る程度ですむ話ではないのか。低賃金のアルバイトに一流の仕事・サービスを求める過度の高望みが、こういうかたちで噴出してきている気がする。

・人間関係は難しいなどとよくいわれるが、実はそんなことはない。基本的には返報性にだけ気をつけていれば、問題が生じることはほとんどない。要は、「自分がされたらイヤだ」と思うことはしないことである。

・「他のみんなも駐車しているではないか、どうして自分だけが取り締まりを受けるのか」といった展開になる。つまり「他の人もやっている」という、相対的に自分の非を小さくしようという試みである。

・どんな会社や組織にも、迷惑な人は存在する。こういう人たちは、認知的不協和が生じても、自らの非を認めて行動を改めるようなことはまずない。言い訳や自己正当化に終始し、あげくに「うちの会社はブラック企業だ」と言い出す始末というのも、よくある話である。

・普通の人は「ここで引き下がらなければならない」という、潮時というものを心得ている。恒常的に迷惑行為をし、相手から注意されても何ともないと思ったり、食ってかかるような人は、そういうことはない。やはり困った存在なのである。

・電車内の携帯の通話にしろ、この行為を注意された方は、自身の行為を否定されたことになるので、心理的リアクタンスが生じる。心理的リアクタンスは、行動判断に強く影響するため、反発は不可避なのである。

・人間は、あらゆる側面において、行動をエスカレートさせていく傾向がある。

・「ネズミに菓子を与えたら、次はミルクを欲しがる」と言い放っている。悪事に付け入るスキを与えることは、それが拡大してしまう危険性を、常にはらんでいるのである。

・往々にしてルールというのは、この「一部の守らない人」を対象に変更される。それが厳しい方向に向かえば、ルールを守らない人だけでなく、まじめにルールを守る人も不利益を被ることになる。

・サッカーの選手が、エスコートキッズと手をつないで入場するのも、「フェアプレーを誓う」といった効果に加え、フーリガンによるブーイングや、選手に物を投げつけるといった行為を防止するといった効果もある。

・お礼型のメッセージには、「感謝の気持ちには感謝の気持ちで返そう」という返報性の原理も、巧みに織り込まれている。

・恩を仇で返すような行為は、人間社会ではやってはいけないこととされる。全世界、いつの時代にも共有された返報性に抗うことは、心理的に非常に大きな負担となるのである。

・迷惑行為をした人に対しての「後ろ指」や「白眼視」を、もっと強調することである。まわりから白い目で見られれば、恥ずかしさを感じるのと同時に、強い不快感も生じるのだが、これが抑止力として働くのである。

・「最近じゃ「珍走団」っていうらしいよ」などといったポスターを用い、追放キャンペーンを展開したことがある。ただ現状では、これらの呼称が広く定着しているとは言いがたく、メディアなどでは「元暴走族リーダーを再逮捕」などと、今も「暴走族」の名が使われているのは残念である。

・愚かな行為というのは、徹底的に否定すべきである。

・「DQN系」と呼ばれるタイプは、反社会的行為を自慢したり、大見得を切ったりすることから、迷惑行為と切り離すことができない。

・粋がって格好をつける子供には、将来必ず恥じる日が来ることや、本当に格好よいこととは何かということを、大人の側からきちんと教えるべきである。

・「あの車DQ高いねぇ」「そんなにあの人DQ高くはなくね?」というのがある。これは、DQNぐあいを、心理学における知能指数(IQ)をもじって、程度付けしたものである。

・それにしても、日本人はきれいごとを並べたがる。「スピードの出しすぎは事故のもと」などという、当たり前すぎるスローガンを見るたびにそう思う。それよりも、「流れに乗れ! 空気読め! 恥を知れ!!」とか、「猛スピードで突っ走ってるバカ、おまえだよ! まわりの車に白い目で見られているの 気づかないの?」くらいのきついアピールの方が、確信的に流れを乱す人にとって、その抵抗は大きくなると思うのだが。

・心理学では、こうした「客観的な視点」のことを「メタ認知」という。自分の行動を「メタ認知」で捉える習慣がなければ、気づかないうちに、まわりに迷惑をかけ続けるということになってしまうのである。

・往々にして自由というものは、身勝手なふるまいを正当化する詭弁や、価値観を一方的に押しつけたりすることに利用されてしまう。

・利己主義的な考え方の強い人は、(他の人が困っても)金銭だけが重要だという、拝金主義を支持する傾向にある。

・思慮に欠けた「良い・悪い」といった判断は、往々にして「(自分にとって)良い・悪い」というだけの、単なるエゴイズムにすぎない。ここでは、相手の立場や「(全体にとって)良い・悪い」といった視点が、決定的に欠けている。

・ベビーカーを使う側の主張には、「まわりに配慮をしてもらって当たり前。自分は面倒なことなんかしたくない」という本音も含まれているのではないか。ベビーカー問題だけでなく、「面倒だ」というコスト意識は、さまざまな局面で衝突の原因となる。

・バリアフリー問題が解決されたことで、新たに電車内でのベビーカー問題が生じた。スマートフォンが登場したことで、歩きスマホや自転車スマホの問題が生じた。このように、世の中が便利になったり、面倒事が解消されると、これまでになかったような迷惑行為が生じてきて、いたちごっこのごとく際限なく繰り返されていくのである。





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