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『社会はなぜ左と右にわかれるのか』 [☆☆]

・この世のあらゆるものごとは、計算の問題だ。だから天秤をもって慎重に歩まねばならない。一方の皿に、今まさに手に入れようとしている快楽を置く。だが公平を期すために、もう一方の皿には、それに続いて起こる苦痛を置く。そして天秤がどちらへ傾くかを確かめる。そうやって前に進むのだ。

・「社会進化論」とは、「もっとも豊かで繁栄している国家、民族、個人が適者だ」とする考えだ。それゆえ、貧者に対する施しは、進化の自然な進行を阻害すると考える(貧者に子孫を残す機会を与えるので)。

・主人(情熱)が死ねば、召使い(理性)には領地を運営していく能力も、その意思もない。かくしてすべてが廃墟と化すのである。

・義務論者は、注意深い思考を通して獲得された高度な道徳原理を語る。おそらく彼らは、それがあとから直観を理由づけるものにすぎないとは決して認めないだろう。

・何百年ものあいだ、人類は、小集団への帰属を認められ、メンバーの信用を取りつける能力を持っているか否かに、自己の生存の可能性がかかっていた。したがって、それを可能にする生得的な本能が存在するのなら、それは自分をよく思うよう「他人」を仕向ける能力でなければならない。

・学校は思考方法を徹底的に「教える」わけではなく、より高いIQを持つ志願者を「選択している」のだ。

・正直な人々でも、その多くは機会があればズルをする。実際は、少数の腐ったリンゴが平均値を押し下げているのではなく、「人々の大多数が」ほんの少しずつズルをするのだ。

・心理学におけるほぼすべての調査は、全人類のうちでもきわめて狭い範囲の人々、すなわち欧米の(Western)、啓蒙された(educated)、産業化され(industrialized)、裕福で(rich)、民主主義的な(democratic)文化のもとで暮らす人々を対象に行なわれている(略してWEIRDと呼ばれる)。

・WEIRD文化の特異性の一つは、「WEIRDであればあるほど、世界を関係の網の目ではなく、個々の物の集まりとして見るようになる」という単純な一般化によってうまく説明できる。

・カントやミル以来のWEIRD文化の哲学者が、個人中心主義的、ルール志向的、普遍主義的な道徳システムをおもに提唱してきた理由がよくわかる。それは自立的な個人からなる社会を治めるのに必要な道徳なのだ。それに対し、全体的にものごとを見る非WEIRD文化の思想家が道徳を説くと、孔子の『論語』のように、ある一つのルールに還元できない格言や逸話のコレクションのようなものになる。

・人はある人々に感謝の念を抱くと、その人々の視点に同化していくものだ。

・昨今、世間一般では、「啓蒙とは、理性という武器を手にした科学と、迷信という古来の防御盾を持った宗教が睨みあう、不倶戴天の敵同士の戦いである。そしてその結果、理性が迷信を打ち負かし、光が闇を制圧した」と見なされている。

・システム化とは、「システムの変数を分析し、その振る舞いの基盤にある規則を発見しようとする衝動」のことだ。地図やマニュアルを読むのが得意な人や、機械いじりが好きな人は、平均以上のシステム化衝動を備えていると考えてよい。

・遺伝と出生前のなんらかの要因が結びつくことで、共感能力が極端に低く、システム化能力が例外的に高い脳が形成されると、自閉症が生じると言う。

・私たちは道徳的な心がどのように機能「すべきか」ではなく、「実際に」どう機能しているのかを知りたいのだ。

・エスキモーが料理に甘味をほとんど使わないのは、最近になるまで果物がほとんど手に入らなかったという明白な事情があるからにすぎない。

・ほとんどの動物は、生まれたときから何を食べるべきかを知っている。しかし人間は、何を食べるべきかを学習しなければならない。ネズミやゴキブリと同様、私たちは雑食動物なのだ。

・共和党員はこれまで長く、「乗り手」ではなく「象」が政治的な態度を決定することを、また、「象」がどのように機能するかをよく心得ていた。それに対して民主党は、「乗り手」に訴えようとする傾向が強く、特定の政策やその恩恵を強調することが多い。

・自ら所属すべき上位の実体を何ら認めない人は、高い目標を持つことも、規則に服することもできない。すべての社会的な圧力からわが身を解放することは、自己の責任を放棄し、道徳的に堕落することに等しい。

・私たちは、真に「正しくある」よりも、「正しく見える」ことに配慮する傾向を持つ。

・ミツバチが、蜜蝋と木の繊維を材料に巣を作り死守するのに対し、人類は規範、制度、神を素材に道徳共同体を築き上げ、21世紀になった今日ですら、それを死守するために戦い、殺し合っているのだ。

・家畜化は一般に、成体になると消滅するはずの特徴を、死ぬまで保ち続けるよう働きかけるのだ。かくして(人間を含め)家畜化された動物は、野生の祖先に比べて穏やかで、社会性が高く、また子どものように見える。

・中世の世界では、ユダヤ教徒やイスラム教徒は長距離貿易に秀でていたが、その理由の一つは、彼らの宗教が信頼関係の構築と、強制可能契約の発達を促したからである。

・宗教という外骨格を欠いた社会を擁護する人々は、数世代が経過するうちにその社会に何が起こるかをよく考えてみるべきだ。

・富者について言えば、大企業経営者は右、テクノロジーで財を成した者は左、貧者に関しては、地方では右、都市では左というのが一般的だ。

・子供の血中の鉛の濃度は、ガソリンの鉛含有率の低下と密接に連動して下がった。そしてここ数十年間におけるIQ上昇は、それによって得られた効果だとされている。

・リバタリアンとは、基本的に市場を愛し、弱者への同情を大げさに表現しないリベラルのことだ。

・あたかもリベラルは、たとえコロニーを破壊することになっても、その構成メンバーたるミツバチ(実際に助けを必要としている)を救おうとしているかに見える。そのような「改革」は、結局社会全体の福祉を損ない、リベラルが助けようと思っていた犠牲者に、さらなる害を及ぼすことすらある。

・「ゆりかごから墓場まで」を標榜する過保護国家は、国民を子供扱いし、無責任に振る舞わせる。そのために、さらなる政府の保護が必要になる。

・ヒトと家畜の重量を足し合わせれば、人類の文明は全哺乳類の重さの98パーセントを占める。





社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

  • 作者: ジョナサン・ハイト
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2014/04/24
  • メディア: 単行本



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