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『なぜ日本の教育は間違うのか』 [☆☆]

・ゆとり世代の特徴を以下のようにまとめています。
(1)周囲の人間や社会に対する不平不満、批判が多く、問題を人や社会のせいにしがち。
(2)「物事はうまくいって当たり前」と考えるため、少しでもうまくいかないと自信を失う。
(3)それでいて、「このダメダメな状況を一気に解決する夢のような方法がどこかにある」と信じている。

・主な居場所だった学校が「学校教育も公共サービスの一つだ」という考え方に支配されていたので、大人は揉み手で自分の要求を聞いてくれるものだと思っています。

・今の学校は「青少年用の保育園」である。

・新学力観を導入した人たちは、「教え込むから勉強嫌いになって学ばないのだ」と考えましたが、教え込むのをやめたらますます学ばなくなったのが現実でした。

・調べ学習において、主観的なレポートを批判されることはほとんどありません。小中学校の先生たちは、自分自身が客観的なエビデンスを基にレポートを作成する訓練を受けていないのでレポートというのはそういうものだと思っているのです。

・新学力観の下では教師の役割は指導ではなく援助ですから、愚にもつかないレポートの少しでもよいところを見つけて褒めるのが彼らの期待される役割です。

・日本の強みは一般人のレベルの高さにあります。これに対して日本の弱点はエリートのレベルの低さです。

・ソ連軍指揮官のジューコフ将軍は敵の日本軍について、「下士官は優秀、下級将校は普通、上級将校は愚劣」と評したそうです。そのときから日本の人材構造は何一つ変わっていません。

・ゆとり教育には教師の週休2日制を実現したい日教組の隠れた意図があったことは教育界では周知の事実です。

・共産主義思想は国家を悪と考えその解体を目指す思想ですが、グローバリズムも共産主義思想ほどではないにせよ、国家を敵視・軽視する面があります。

・現在の学校では授業の始まりに起立・礼をすることがほとんどありません。平等を履き違えた人間が、反対するからです。

・採用担当者が、前年とほぼ同じ学歴構成で採用した方が上層部に説明しやすい。そのために人気の落ちた企業は、同じ銘柄の大学卒の中でどんどん「使えない人材」を採用するようになる。

・教育界から産業界に対して出す注文は、「大学生が勉強しなくなるから採用時期を遅らせてほしい」とか「学歴差別をしないでほしい」とか、くだらないものばかりでした。そんな要望しかできないから教育界は産業界に相手にされないのです。企業の存在意義は、利益を生み出すことと経済活動を通じた社会貢献であって、学生を楽にすることでも、三流大学に奉仕することでもありません。

・就職活動が忙しくて勉強できないなどという言い訳は、教育や雑務が忙しくて研究できないという三流研究者の言い訳と同型です。忙しい中で勉強はやるものなのです。

・日本は大学が多すぎるために高等教育を受けるに値しない人間まで大学に通っている。

・常に最新の技術を導入しないかぎり職業学校は、教師の雇用を確保するためにカビの生えた技術を教える場に成り下がってしまいます。

・一流大学さえ出ていれば出世が約束されるなどという甘い企業はどんどん駆逐されていますから、ビジネス社会の競争は一生涯続きます。

・人が行動するための規範を獲得する方法は、「教師」と「反面教師」のたった二つしかない。

・高級官僚の中にも、3月12日の段階で福島原発の炉心融解を認めた人がいたことを忘れてはなりません。そして彼は、炉心融解の可能性があると発言したその夜に、管総理と枝野官房長官によって更迭されました。

・問題はフィンランドから学ぼうと声高に叫ぶ人たちがイデオロギー的に偏っていることです。はっきりと書くならば左翼がフォンランドブームを煽っているのです。フィンランドは北欧型福祉国家のひとつですから左翼に評判がよい。

・これまで、左翼は情報入手困難な国を理想化し、それと対比することで日本がいかにダメであるかを指摘してきました。ところが、スターリンのソ連も、毛沢東の中国も、金日成の北朝鮮も情報が流出し始めたとたんに、ことごとくとんでもない独裁国家であることが明らかとなりました。

・フィンランドの教育には確かに、低学力の子供たちに手厚い保護をしています。でもそれは、決して「落ちこぼれ」に優しいわけではありません。むしろ、落ちこぼれることを許さないのです。

・子供の不良行為に寛容な姿勢をとることは、結果的に真面目な子供への人権侵害を見逃すことになるので、ゼロ・トレランス的手法は今では世界の趨勢になっています。

・アメリカでは、貧困地区の犯罪率や黒人の犯罪率が多いことがしっかりと科学的に調査され、その上でどのような対策が必要かを論じます。わが国の専門家たちは、見たくない現実を見ないために調査そのものを怠るのです。

・小学生の頃から「ウチの子供はあんまり勉強が得意じゃないから、普通でいいんです」なんて平気で発言します。実際はそういう風に言われる子供は決して普通じゃなくて、落ちこぼれですが……。

・親はよほど教育熱心じゃなければ、いまどきの評定事情は知りませんから、昔ながらに子供が評定3をもらってきたら「普通」だと思ってしまう。気づいたときには、もう手遅れなほど勉強ができなくなっている。

・能力の低い教員ほど、教員を無視して学習を先に進める生徒を嫌いますが、生涯学習社会においてもっとも必要な能力は、自分で次々と課題を見つけて学習する能力(自己学習能力)です。

・飲食店が悪臭を放つホームレスをつまみ出すように、他の生徒に迷惑がかかる不良性とをつまみ出すことを認めなければなりません。そこまで認めて初めて「学校教育=サービス産業」論は説得力を有するのです。

・「学校教育=サービス論」者は、モンスターペアレンツを庇いますが、彼らがモンスターペアレンツを生み出した訳ではありません。なぜなら、モンスターペアレンツの多くは新自由主義に影響されるほど知的ではないからです。

・モンスターペアレンツは「人権」という言葉が大好きです。この言葉さえ出せば教師や校長、教育委員会が怯むことを知っているからです。

・子供たちにとって人権侵害とは、見たことも聞いたこともない差別の話ではありません。行ったこともない遠い世界で人が虐殺されることでもない。今、まさにいじめに怯えながら登校しなければならない現実にこそ、彼らの「人権侵害」が存在するのです。

・人はひとたび左翼的メンタリティに汚染されると、常識が判らなくなります。自分たちを攻撃する人間は、すべて「資本サイドからの攻撃」「国家権力による弾圧」という妄想に取りつかれ、対話できなくなるのです。

・共産主義者の中には、資本主義国家である日本の国力低下を目指す確信犯が存在します。日本人でありながら、常に日本が没落することを願う。

・左翼老人の多くは、若かりし頃日米安全保障条約の意味も内容も知らずにゲバ棒を振っていた知的弱者です。左翼学生だったことを自慢げに語る先輩たちに「ところで日米安全保障条約って何条あるんでしたっけ」と聞くことにしていましたが、即答できる人は組合幹部も含めて誰一人いませんでした。条文数はピッタリ10条。一度でも読んだことのある人なら忘れるはずがないのです。

・共産主義者は日本のナショナリズムを嫌悪していますから、卒業式や入学式の際に日本国旗が掲げられることや日本国家を歌うことが許せません。

・恐喝や暴行傷害などの犯罪行為は、学校内で行われるだけで「いじめ」という名が付され、少年犯罪でなくなります。



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