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『時間資本主義の到来』 [☆☆]

・日本人の現在の平均年齢は約45歳で、20年後には50歳近くになる。明治から戦後まで、日本の平均年齢は30歳以下であったことを考えると、ここ半世紀の高齢化のスピードは驚愕と言える。

・付加価値型のサービス業が求められるようになると、1時間あたりに生産した製品数では、生産性は測れなくなる。

・人々は大きな集団で動く固形物ではなくなり、それぞれが液体中で小刻みにブラウン運動している微粒子のような存在になった。

・従来型であれば、まじめに仕事をしていくことで、高い確率を持って高い生産性でアウトプットすることが可能だった。まじめに仕事をすることが最も合理的な時代であったと言える。

・スマホの登場によって、私たちが偶発的に獲得する数分間、あるいは数秒間という「すきま時間」に息吹が与えられ、意味ある時間として新たな輝きを保持し始めた。

・時間の価値は、このように右肩下がりのべき乗則にしたがうグラフのようになっていて、1分、5分、10分といったロングテール部分の時間は捨てられていた。逆に言えば、時間はかたまりが大きければ大きいほど価値があったのだ。

・当該産業の生産性が上がることによって、「かたまり時間」と「すきま時間」の価値格差が急激に減少している。要するに「すきま時間」でも稼げるようになってきたのである。

・いまや、「かたまり時間」に価値があるとしたら、睡眠時間くらいかもしれない。

・皮肉なことに、時間を「やらなければならないこと」で埋めれば埋めるほど、クリエイティブな思考は鍛えられない。

・かつて、電話が発明されたとき、これで家にいながら人とコミュニケーションができるようになるため、人の外出は減るだろうと予測した未来学者がいた。しかし、現実は逆になった。電話で人は何をしたのか。直接会う約束をするようになったのだ。

・電話での連絡、そしてネットでのコミュニケーションがコモディティ化したとき、人は直接会って話す経験をより重要なものに位置づける。人に会うことで、ほかと差をつけようとするのだ。

・「原価がこんなに安いのに、こんな値段がついているなんてメーカーのぼったくりだ」などという言説をいまだに耳にする。そういう人は、2世紀前の古典派経済学の考え方にとらわれているのだ。メーカーに価格決定権などない。物の値段は需給で決まる。

・今後どんどん収入格差が増えていくだろう。時間の使い方で勝者と敗者がはっきりと分かれていくのが、今後の社会だとも言える。

・記事の冒頭に「ざっくり言うと」というコーナーを設けた。ニュースの内容を3つの箇条書きにして掲載している。一文、40字前後。これはまさに、時間資本主義時代に対応したサービスだと言えよう。

・消費者はサンクコストをできるだけ極小化しようとする。そのために、時間を消費するサービスを選ぶときは、失敗しないように「テッパン型」のサービスに頼ろうとする人が増えるだろう。絶対にはずれのないところに人気が集中するようになるのだ。

・ハズレの場所に行くことなど決して許されないと考えている。そうすると、事前に獲得できる情報がないようなリゾートホテルに行くことはしないであろう。

・大企業やグローバル企業を志向するのであれば「時間効率化」という切り口で戦略を考えるべきだし、小資本で独立的に事業を成長させたければ「時間の快適化」という切り口で戦略を考えるべきである。

・新幹線であれば、東京駅から岡山駅や広島駅まで飛行機よりも時間はかかるが、じっくりとノートPCやタブレットPCを使って仕事の時間とすることができる。

・平日のグリーン車などは、ほぼビジネスユーザーの出張に使われているように見える。それにもかかわらず、まだJRは依然として「行楽」の発想でサービスを充実させようとしてはいないか。

・利益とは、他者との比較で優れている部分に支払われているものだからだ。単なる仕事量の増大からは、超過利潤は生まれないのである。

・まじめ貧乏──お金も時間もない! 賃金は必ずしも高くないのだが、幼いころからの教育や自らの信条などさまざまな理由でまじめに働く人たちである。多くのビジネスを支えている人たちでもある。

・ひと昔前であれば、ゲームセンターやパチンコなど幾ばくかの金銭を払わないと無限に広がる日常を時間消費することができなかったが、最近のソーシャルゲームの発達により、安価に時間消費が可能になったことも、この人たちには朗報である。

・グローバルで活躍できる人は需要が増えて給料が上がっていくし、グローバル化がスタンダードになればなるほど、日本語の需要は落ちていくので、日本語だけで仕事をしている人の給料は下がっていく。

・時刻表などを駆使してルートを調べ、切符を買いに行く。それがとても重要で、価値の高い仕事だった時代も存在していたのだ。時代の変化によって、クリエイティブな行為だったことが、コモディティ化していってしまうこともある。

・一番いいのは、会社の近くに引っ越してしまうことだ。それによって、負の時間であった通勤時間を短縮することができる。

・だが、「時間の効率化」だけを進めて、効率化によって生まれる「かたまり」や「すきま」の時間を快適化して、時間に彩を与えない限り、私たちの人生は豊かなものにはなりえない。

・そもそも、時間が希少なものになり、みんなが必死で自由な時間を作り出そうとしているのに、通勤に1時間以上かけるということが、時代に逆行しているのである。

・家の中を住みよくするだけでなく、家の外も利用するのが今後の住居のあり方だ。つまり、パブリックなスペースに、家の機能をアウトソースするのだ。

・いつでもどこでも連絡がとれるようになったからこそ、物理的に近いほうが有利になるという現象が起こっている。

・排他性を利用したビジネスも、近くにいるからこそ成り立つ。私が専有していたスターバックスの席を、福岡の人に譲ることはできない。

・その人たちが、快適に過ごしたり、生活を楽しんだりするためのライフスタイル産業がまた新たな雇用を生み、イノベーション産業における雇用が1件生まれると、それに対してサービス系の雇用が5件生まれる。

・GMの経営不振で工場を閉鎖してから、急激に衰退している都市である。まさに、年収が学歴や職業ではなく、「住むところ」で決まってしまうのだ。

・スマホで検索できてしまうような情報では、差別化はできない。やはり、直に出向いて、見て、聞いて、感じた一次情報でなければ意味がないのだ。

・どんな服が売れるかなんて、予想するのは不可能だったのだ。だからこそ、売れたり売れなかったりという波があった。売れないというリスクを極力避けるための方法が、「いま売れている服を模倣する」だ。

・もし、日本の平均年齢が20代であったなら、国民全体の持つ思い出の量はまだ少なく、これからの明るい未来を想像できるような製品、コンテンツ、コマーシャルがウケるだろう。しかし、40歳や50歳の人が多い社会だと、その人たちが見てきたもの、体験してきたことの総和が未来より大きく、過去を使ってマーケティングするほうがより効果的になる。

・自分がいいと思いファッション、食べ物、インテリアなどは、幼い頃からの経験が大きく関連している。ここはグローバルな自由貿易がいくら進展しても、均等にならない部分だ。

・過去を懐かしむというときの過去は、リアルな過去ではなく美化された幻想である。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などはその典型だ。

・現実なのか非現実なのか定かではない作品を撮り続けた植田正治。その作品は現代でも広く人気を集めている。一方、リアリズムを追求した土門拳の作品は、古典として歴史の枠の中に収まってしまった。

・「まじめな人」は上下関係を作る。序列を作り、ルールを制定し、それを守ろうとするのだ。そして、それが時には目的を見失い、ただルールだけが存在するようになってしまう。

・まじめはつらいばかりではない。昨日と同じことをやっていればいいから楽なのだ。




時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?

時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?

  • 作者: 松岡 真宏
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2014/11/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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