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『だから日本はズレている』 [☆☆]

・失敗例を無視して、成功例ばかりが注目されてしまうことを「生存バイアス」という。

・何度つぶれてもいい企業と違って、国家は何度もつぶすわけにはいかない。だから起業家として優秀な人物が、必ずしも政治家として優秀というわけではない。

・リーダーに最大公約数的に定義を与えることができるならば「ついてくる人がいる」ということだろう。

・他人任せもいいところだ。しかし、そんな人ほど「強いリーダー」を欲したりするからたちが悪い。「強いリーダー」を求めずとも自分がリーダーになればいいのに。

・これら小さな集団の活動は、国中の人々全てを救うものではない。だけど、確実に数百人、数千人の人は幸せになる。

・ヤンキーが面白いと思うマンガは必ずヒットする。

・思えば、戦前の日本の植民地政策もそうであった。相手が望んでもいない「日本文化」を押し付け、それは戦後にも深い禍根を残すことになった。「正しいと自分が考えるものは、喜んで受け入れてもらえるはず」という発想は、戦前からの美しい日本の伝統らしい。

・本当に誰かの「心」を変えようと思ったら、それは「心のノート」を通じた全国一斉教育などではなく、人と人の対話に期待するしかない。抽象的なポエムではなく、具体的な体験によって、「心」はきっと成長する。

・革命や独立に代わり、かろうじて日本における国民共通の記憶と呼べそうなものは、およそ70年間続いた「平和」意識ぐらいだ。

・オリンピックが開催されれば経済は安泰だと考える人。憲法さえ変えれば日本が良くなると信じる政治家。どうやら、この国の大人たちは「今ここにないもの」に過剰に期待してしまうらしい。

・しかし製品をインターネットにつなげば、その分ウイルスなどに感染する脅威も高まる。たとえばネットにつながった冷蔵庫がサイバー攻撃に遭い、大量のスパムメールの発信源になってしまう。

・未来を生きているはずの僕たちは、よく次のような場面にも遭遇する。役所の提出する書類はやたら印鑑が必要。「本人確認のため」とか言われるが、写真もない健康保険証が身分証明書代わりになったりする。なんだ、全然未来じゃないじゃん。

・たとえばムラ社会などは究極の監視社会である。誰がいつ生まれ、どんな風に育ち、どのような思想を持っているかは、大抵みんなが知っている。

・それは誰もが国家に監視されているということだが、ムラで顔の見える相手に常に監視され、陰口を言われるよりもよっぽどマシな仕組みではないだろうか。

・「正しさ」ではなく「もっともらしさ」が勝つ。

・日常を支配するのは、「論理的に正しい」とか「証拠から考えて正しい」といった「正しさ」ではなくて、「よくわかんないけど、そうなんじゃないの」という「もっともらしさ」である。

・ソーシャルメディアと相性がいいのは、せいぜい数千から数万の顧客対象とする業界だ。たとえば書籍なんて、大ヒット作をのぞいて数万部売れれば「ヒット」と言われる世界。著者がツイッターで宣伝に励むのも無意味ではない。

・この人気企業ランキングを見てみると、大学生たちの「企業を見る目のなさ」「日本社会の変遷」「社会のムード」がわかって面白い。

・就活というのは、自分を売り込むという最も簡単な営業の一つだ。自分さえも売り込めない人が、社会人になった時、誰かが作ったモノを売りこめるかは怪しい。

・何かを「売り込む」というのは、もはや文系や理系を問わず必要とされるスキルである。

・面白いのは、空虚な訓示を発する入社式なるものを、未だに多くの企業が同じ4月1日に実施し続けているという点である。新入社員に向けては散々、チャレンジ精神の発揮を呼びかけているにもかかわらず、独創性の欠片もない。

・じゃあ、具体的にどんな仕事をしたらいいのか。そうした疑問に多くのノマド論は答えない。彼らはただ「スタイル」の話をするだけだ。手帳を持ち歩く。食器洗い機を導入する。読書をする。それを何のためにするのか、ということまでは答えない。

・ノマドであろうとも結局は社会の歯車の一つなのだ。それは、会社の歯車の一つとして生きるよりもストイックさが要求される。会社員なら歯車の潤滑油は会社が補給してくれるが、ノマドは潤滑油さえも自分で調達しなければならないからだ。

・基本的に親の職業や自分を継ぐことが当たり前だった江戸時代までと違って、身分制度が崩壊した明治以降の社会では、人の優劣を測るものさしが一元化されていった。それが学歴社会の起源である。

・日本の若者は格差の当事者、つまり自分たちが「弱者」であるという認識がない。反格差を掲げたデモの規模は広がらないし、続くこともなかったのはそのためだ。

・毎日の生活に追われるような人よりも、時間や金銭的に余裕がある人ほど社会運動にはまりやすい。その意味で、かつて学生運動をしていたような高齢者に、原発問題はこれ以上ないほどの娯楽を提供した。

・自分の食い扶持も稼げずに国家語りや社会語りをして、何かをしたつもりになっていた1960年代の若者よりも、よっぽど真面目に社会を変えているとも言える。

・社会学では、「今、ここ」にある身近な幸せを大切にする感性のことを「コンサマトリー(自己充足的)」と呼ぶ。何らかの目的達成のために邁進するのではなくて、仲間たちとのんびりと自分の生活を楽しむ生き方のことだ。





だから日本はズレている (新潮新書 566)

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  • 作者: 古市 憲寿
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  • 発売日: 2014/04/17
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