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『なぜ、人は7年で飽きるのか』 [☆☆]

・「大衆」は、同じような時期に、同じような現象を見聞きする人々であり、トレンドを作り出す単位だ。

・その昔、江戸と薩摩のように、それぞれの住民が見聞きするものがまったく違っていた時代には、日本の中にも複数の大衆が存在した。しかし、現代のように、テレビやインターネットによって、日本中の情報が均一化されている時代には、日本全体が一つの大衆となっている。

・骨髄液は、日々少しずつ入れ替わっていくのだが、7年でまるまる入れ替わることになる。これに伴って、免疫システムも7年で変化する。例えば、アトニーを発症した年から7年おきに、アトピーが完治しやすい年がやってくるそうだ。

・1970年代には、原油価格高騰から石油ショックが起き、主婦たちがトイレットペーパーの買占めに走った。2006年にも原油価格が異常に高騰したが、主婦たちは「今年の灯油、高いわねぇ」と愚痴を言うにとどまった。

・直近では、2013年からハード期に突入する。ハード期は、スペック重視の時代。カッコイイものはいい、という時代である。大きいもの、高いもの、速いもの、先進的なものなど、物理的な迫力に理屈抜きで興奮する。ソフトウェア(コンテンツ)であっても、デザインの斬新さや、企画の先進性が評価される。

・アナログピークからデジタルピークへと向かうハード期には、インフラ整備や、大プロジェクトが動くようになる。

・1999年の動きから察するに、恐らく大衆は1942年まではけっこうアグレッシブで意気揚々と戦地に兵隊を送り出していたのに、1943年が明けて、崩れ落ちるように被害者意識に転じたのではないだろうか。

・自己を肯定するために、他者の否定を足がかりにするのは、最もたやすい手段だからだ。

・初めは、気高い気持ちで始めたはずの人間性尊重だったのだが、ほどなく「人はこうあるべき」というイデオロギーに変わり、やがて「そのためには、この手順でこうすべき」というスタイルの確立に至る。こうなると、それに従わない他者が異端者に見え、正さなくてはならない社会悪に見えだすのである。

・身体に装着して使うウェラブル・コンピュータは、提唱されて久しいものの、なかなか日の目を見ていない。技術が追いつかないというよりは、用途がいまいちピンと来ないのが問題である。

・2020年を過ぎると、人々は自然に走り出したくなる。旅立ちや再生をテーマにした映画や小説も増えるはずである。

・私たちは「人は、理由があり行動している」と思い込みがちだが、脳を見つめていると、脳に先に何らかの意識ベクトルが生じ、脳自体がそこへ気持ちよく突っ走るための理由を探しているとしか思えないことが多々ある。

・女性の「私と仕事、どっちが大事なの?という質問に、「お前だよ」と答えても、「どっちも大事」と答えていもいけない。回答は一つしかない。「さみしい思いをさせたの? ごめんね」と言うだけである。

・デジタルの直線好き、アナログの曲線好き。複雑性の高い現象を好むのがアナログ気分の脳、反対に複雑性の低い現象を好むのがデジタル気分の脳である。

・デジタルの水平展開(横長好き)、アナログの垂直展開(高さ好き)。

・ハード期は、アナログ期ピークからデジタル期ピークへと向かう28年間。大衆が、「用途度外視で、カッコイイものが欲しい」と切望するときである。

・ソフト期は、ブツ(ハード)より用途(ソフト)の時代。車では、居住性のよさや安全性、環境への優しさなどが、カッコイイと言われる時代である。ナビゲーションシステムも、このソフト期に急速に進歩した。使い勝手の向上や快適性の向上にもソフト期の要素は表出しやすい。



なぜ、人は7年で飽きるのか

なぜ、人は7年で飽きるのか

  • 作者: 黒川 伊保子 / 岡田 耕一
  • 出版社/メーカー: 中経出版
  • 発売日: 2007/05/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『人間のトリセツ 人工知能への手紙』 [☆☆☆]

・学校は、知識をひけらかすところじゃない。知らないことに出会うエキサイティング・ワールドだ。

・自閉症の原因として、母体の血液栄養不足が指摘されている。

・自閉症は、神経系の認知が過敏な脳なのである。神経に触れる外部情報が多すぎて、情報がうまく取捨選択できない。だから、外界認知が適切に行われず、外界とうまく関われない。

・私は、微分・積分を習ったとき、「微分は、全体像からものの輪郭(表層のベクトル)を切り出す演算」「積分は、輪郭から全体像を見出す演算」だとすみやかに理解した。加速度から速度や移動距離を、即座に算出できる魔法の方程式だと。

・自閉症は、英語ではAutism(独自脳)である。ラテン語のAutosに由来する。自閉症でない脳は、Typical(典型脳)と呼ばれる。

・対話において人は、状況から判断できると思しきことを省略する。

・女性は、相手の会話文から、単語をいくつか切り出したら、あとは、自分が保持している認識パターンに当てはめて、いっきに解釈してしまう。幼児相手や、認知症の老人相手のような、不完全な対話にも難なく対応して、意思の疎通が図れる。

・微小な「イラッ」に対して、注意してやることのエネルギーコストが高すぎる。あるいは、「イラッ」が微小過ぎて、いちいち自覚さえしないかもしれない。しかし、それが重なると、「あいつ、なんかイラつく」「センスが悪い」「信頼性に欠ける」と思われてしまうのだ。

・ヒトの脳の感性の周期が56年だからだ。感性周期の場所によって、大衆全体の語感の好みと使用傾向が大きく違うのである。ことば使いが、明らかに違う。

・人間は、「あっちむいてほい」に弱い。理由は、ミラーニューロンが、相手の所作を「鏡に映すように」自分の神経系に移しとってしまうからだ。

・人工知能は、機械としての身の程を知るほうが、佇まいが美しく、愛しいのだということも。人間の真似をして、親しくおもねってくる人工知能なんか、醜悪で、見ていられない。

・女性は、明らかに共感で会話を回している。「わかる。わかる」が合言葉。男性は、これを使わない。

・女性は共感のために会話をする。共感が生む「心にしみる結論」があるからだ。男性は問題解決のために会話をする。会話が短くて済み、即行動に移れるからだ。

・たとえば、私たちに利き手がなかったら、つまり、脳が右半身と左半身とまったくイーブンに感覚認知していたら、身体の真ん中に飛んできた石を、ヒトは避けそこねてしまう。とっさに出す手が決まっているから、私たちはものを取り落とさずに扱えるのである。

・20世紀に人々が憧れた理想のエリート脳は、人工知能と変わらない。人工知能時代に、存在価値が薄れる人たちである。

・人類の感性演算方式、すなわち脳の感性モデルは、プロセス指向共感型と、ゴール指向問題解決型のたった2つ。誰もが、これら2つの感性モデルを脳に内在させている。そのバランスや使いどころによって、感性上の個性が顕われるのだ。

・イギリス車は家具に見え、イタリア車は動物に見える。イギリス人は馬車をモチーフに、イタリア人は馬をモチーフに自動車をデザインしたのではないだろうか。そして、欧米人たちは、日本車は家電かロボットに見えると言う。

・プロセス指向共感型の脳は、複雑な事象の組合せが得意で、それが好みでもある。形が複雑で、色数が多いと気持ちが上がる。

・ゴール指向問題解決型の脳は、簡潔な事象を好む。デザインなら、シャープで、色数が少なく、シンプルなもの。規則も法則も数字も大好きである。

・「見た目」が、知らない間に、その人を測るものさしに使われてしまうのである。

・成果を上げる者よりも、それを味わう者にこそ、真の価値があるということだ。素晴らしい音楽家は、確かに素晴らしいが、その音楽に涙を流せる脳こそが、この世の至宝なのだと思う。

・奇想天外な実験にきゃあきゃあ言ったり、星を見つめたりするだけでは、本当の「科学の心」は育たない。

・センスのない科目には「楽しい体験」の授業が、センスのある科目には、余分な情報を削ぎ落したクールな授業が、きっと有効なのだろう。

・先へ先へ教えてやる。失敗しないように、他人様に遅れないように。あわよくば人に秀でるように。その親心は痛いほどわかる。けれど、それが、子供の好奇心を削いでしまう可能性がある。

・人工知能の時代、「好奇心は控えめに抑制し、聞き分けがいい子にして、効率よく偏差値を上げる」方式では、人間は活躍できない。

・かつて動力が発明されたとき、重いものを運ぶ人や穴を掘る人が失業した。けれど、人類は、今も忙しい。

・新聞記事は、定型文の組合せで書かれている(「見たこともない表現」で書かれた経済記事なんて、株価が上がったのか下がったのかわかりゃしない)。



人間のトリセツ: 人工知能への手紙 (ちくま新書)

人間のトリセツ: 人工知能への手紙 (ちくま新書)

  • 作者: 黒川 伊保子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2019/12/05
  • メディア: 新書



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