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サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福- [☆☆]

・ネアンデルタール人と太古のホモ・サピエンスもおそらく、なかなか陰口が利けなかった。陰口を利くというのは、ひどく忌み嫌われる行為だが、大人数で協力するにはじつは不可欠なのだ。

・今日でさえ、人類のコミュニケーションの大多数は、電子メール、電話、新聞記事のいずれの形にせよ、噂話だ。

・想像上の現実は嘘とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存続するかぎり、その想像上の現実は社会の中で力を振るい続ける。

・百万長者の大半は、お金や有限責任会社の存在を信じている。人権擁護運動家の大多数が、人権の存在を信じている。

・国連も、リビアも、人権も、すべて私たちの豊かな想像力の産物に過ぎないのだが。

・ネアンデルタール人の遺跡では、そうした交易の証拠はまったく見られない。彼らの集団はみなそれぞれが、地元の材料を使って道具を作っていた。

・個体や家族のレベルでの違いを探すのは誤りだ。1対1、いや10対10でも、私たちはきまりが悪いほどチンパンジーに似ている。重大な違いが見えてくるのは、150という個体数を超えたときで、1000~2000という個体数に達すると、その差には肝を潰す。

・生存と繁殖という、進化の基本的基準に照らすと、小麦は植物のうちで地球の歴史上で指折りの成功を収めた。

・新しい農業労働はあまりにも時間がかかるので、人々は小麦畑のそばに定住せざるをえなくなった。そのせいで、彼らの生活様式は完全に変わった。このように、私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ。

・歴史とは、ごくわずかな人の営みであり、残りの人々はすべて、畑を耕し、水桶を運んでいた。

・ハンムラビもアメリカの建国の父たちも、現実は平等あるいはヒエラルキーのような、普遍的で永遠の正義の原理に支配されていると想像した。だが、そのような普遍的原理が存在するのは、サピエンスの豊かな創造や、彼らが創作して語り合う神話の中だけなのだ。これらの原理には、何ら客観的な正当性はない。

・生物学的には権利などというものはない。あるのは器官や能力の特徴だけだ。鳥は飛ぶ権利があるからではなく翼があるから飛ぶ。

・自然の秩序は安定した秩序だ。重力が明日働かなくなる可能性はない。たとえ、人々が重力の存在を信じなくなっても。それとは対照的に、想像上の秩序は常に崩壊の危険を孕んでいる。なぜならそれは神話に依存しており、神話は人々が信じなくなった途端に消えてなくなってしまうからだ。

・今日の西洋人の大半は、個人主義を信条としている。彼らは、すべての人間は個人であり、その価値は他の人がその人をどう思うかに左右されないと信じている。

・中世の貴族は個人主義を信奉していなかった。人の価値は社会のヒエラルキーにその人が占める位置や、他の人々がその人についてどう言っているかで決まった。

・「共同主観的」なものは、多くの個人の主観的意識を結ぶコミュニケーション・ネットワークの中に存在する。たとえ一個人が信念を変えても、あるいは、死にさえしても、ほとんど影響はない。だが、もしそのネットワークに含まれる人の大半が死んだり、信念を変えたりしたら、共同主観的現象は変化したり消えたりする。

・ドルや人権、アメリカ合衆国も、何十億という人が共有する想像の中に存在しており、誰であれ一人の人間がその存在を脅かすことはありえない。

・シュメール人は、自分たちの書記体系が詩歌を書くのにはふさわしくないことを気にしていなかった。彼らがその書記体系を発明したのは、話し言葉を書き写すためではなく、話し言葉ではできないことをするためだったからだ。

・1492年には、アメリカ大陸に馬はいなかった。19世紀のスー族やアパッチ族の文化には魅力的な特徴が多いが、それは「純正」にはほど遠く、グローバルな力がもたらした、近代文化だったのだ。

・「誰もがその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という理想は、「誰もがさぼれるだけさぼり、もらえるだけもらう」という現実を招いた。

・誰もがいつも貨幣を欲しがるのは、他の誰もがやはりいつ貨幣を欲しがるからで、そのおかげで人は貨幣を出せば欲しいものや必要なものを何でも手に入れられる。


サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/09/08
  • メディア: 単行本



・キリスト教の聖者は古い多神教の神々に似ているだけではなかった。彼らはまったく同じ神々が姿を変えている場合も多かった。

・歴史学者はキリスト教が「どのように」ローマ帝国を席巻したかは詳述できても、「なぜ」この特定の可能性が現実ものとなったかは説明できない。

・カオス系には二種類ある。一次のカオス系は、それについての予想に反応しない。たとえば天気は一次のカオス系だ。二次のカオス系は、それについての予想に反応するので、正確に予想することはけっしてできない。たとえば、市場は二次のカオス系だ。

・文化は一種の精神的感染症あるいは寄生体で、人間は図らずもその宿主になっていると見る学者がしだいに増えている。

・物理学者や考古学者、政治学者を志望する人は大学の一年目から、彼らの使命はアインシュタインやハインリッヒ・シュリーマン、マックス・ウェーバーが得た知識を凌駕することにあると教えられる。

・大半の国では餓死する人はいない。それどころか、多くの社会では飢えよりも肥満でなくなる危険のある人の方が多いほどだ。

・無知を自覚していなかったという点で、まだ中世の人間だったのだ。彼は、世界全体を知っているという確信を持っていた。

・スペイン人の到来は、宇宙からのエイリアンからの侵略に等しかった。アステカ族は自分たちが全世界を知っていて、そのほとんどを支配していると確信していた。自分たちの領土の外にスペイン人などというものが存在するとは想像できなかった。

・近代以前の問題は、あまり信用供与を行なおうとしなかった点にある。なぜなら彼らには、将来が現在よりも良くなるとはとうてい信じられなかったからだ。概して昔の人々は自分たちの時代よりも過去の方が良かったと思い、将来は今よりも悪くなるか、せいぜい今と同程度だろうと考えていた。

・信用が限られていたので、新規事業のための資金を調達するのが難しかった。新規事業がほとんどなかったので、経済は成長しなかった。

・「利益が拡大したら、スクルージは金庫にお金を貯めこみ、取り出すのはいくら貯まったのかを勘定するときだけ」ではいけないのだ。

・資本主義は「資本」をたんなる「富」と区別する。資本を構成するのは、生産に投資されるお金や財や資源だ。一方、富は地中に埋まっているか、非生産的な活動に浪費される。

・1780年代には、祖父の死によって王位に就いていたルイ十六世は、王室の年間予算の半分が借金の利息の支払いに充てられ、自分が破産に向かって進んでいることを知った。

・不正行為に対する制裁を法制化して信頼を確保し、その法を執行する警察、法廷、刑務所を設置して維持するのは政治の仕事だ。君主が責務を果たせず、市場を適切に規制できないと、信頼が失われ、信用がしだいに消滅し、不況になる。

・中世のヨーロッパでは、貴族階級の人々は派手に散在して贅沢をしたのに対して、農民はわずかのお金も無駄にせず、質素に暮らした。今日、状況は逆転した。豊かな人々は細心の注意を払って資産や投資を管理しているのに対して、裕福でない人々は本当は必要のない自動車やテレビを買って借金に陥る。

・多くの人が、この過程を「自然破壊」と呼ぶ。だが実際には、これは破壊ではなく変更だ。自然はけっして破壊できない。

・現在の殺人の世界平均は、人口10万人当たり年間わずか9人で、こうした殺人の多くは、ソマリアやコロンビアのような弱小国で起こっている。中央集権化されたヨーロッパ諸国では、年間の殺人発生率は人口10万に当たり1人だ。


サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

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  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/09/08
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サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

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  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/09/16
  • メディア: Kindle版



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