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『花鳥風月の科学 日本のソフトウェア』 [☆☆]

・山と関わっていく方法には、山に入る者と山を眺める者との二つがあります。

・中国では山に入る者を「仙」、日本語では「山伏」という。

・山水画というものは、ズバリ言うなら、ここ(here)にいながら彼方(there)の山々を眺めるための絵画様式でした。

・神は見えません。見えるとしたら、それはヴィジョンの中です。神はきっと光とか信号とか情報のようなものです。

・神の到来を日本では「おとづれ」とよびます。「おとづれ」は音連れです。音がしたというより、音としか呼びようのない名状しがたい動向がやってきたという意味です。

・花鳥風月の中でも風は特別の位置を占めます。それは風が目に見えないからです。花や鳥や月は見えるものなのに、風は見えない。そこで、他の動きや流れに風を感じることになる。

・風流人がお茶を飲むのは「いま竹藪に風が通りましたな」というようなことを言うために、ただそれだけのために、そのお茶を飲む。竹藪に風が通る頃に茶匠がお茶をたてる。風が出てきたところを見はからって客人にそっとお茶を出す。そこで「風ですな」と一言いうと、「風ですね」と答えがある。それで決まる。なんとも絶妙な瞬間です。

・日本の民家やアパートの玄関脇や窓辺にところせましと小鉢の花が育てられているのがたいそう好きな人です。

・植物と人間が酷似している点は何だろうか。酷似しているのは葉緑素とわれわれの血液とがまったく同じ形の分子構造をしているということです。われわれの血の分子構造は中心に鉄があり、植物は中心がマグネシウムになっているだけ。あとはまったく同じポリフィリンという構造なのです。

・日本の教科書は廃仏毀釈がヨーロッパのユダヤ教徒迫害や宗教改革に匹敵する大事件であったことを告げてくれません。

・日本全体も片割れを求めています。日本だけよければそれでいいということはありえない。日本にはもっと多くの片割れが必要です。

・日本はコードを輸入してモードに編集するのが巧みな歴史をもってきたので、日本の問題はおおむね「氏より育ち」にあります。様々に「問われる時代」というものを迎えていますが、それは必ずしも「氏」(コード)が問われているのではなく、「育ち」(モード)が問われているのです。それを「氏」の問題として腹を立てるのはあたらない。




花鳥風月の科学―日本のソフトウェア

花鳥風月の科学―日本のソフトウェア

  • 作者: 松岡 正剛
  • 出版社/メーカー: 淡交社
  • 発売日: 1994/03/01
  • メディア: 単行本



花鳥風月の科学 (中公文庫)

花鳥風月の科学 (中公文庫)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/06/04
  • メディア: Kindle版



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