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『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』 [☆☆]

・科学的に信憑性が高いにもかかわらず近代の学問の世界から排除された思考に興味があるんです。その中に人相学や観相学といったものもある。

・なぜか右翼は美人が多いんですよ。この違いはおそらく、発達段階で自分が生まれもったものを肯定されて育ってきたか、否定されて育ってきたかの違いに起因するのではないか。

・生まれて持ったものに対して周囲からネガティブな反応を受け続けてきた人は、スタート地点にあったものを否定して、人間の知性を重視する思考や、平等主義的な考えをより親和的に感じるのではないでしょか。そして、左翼的なアプローチの発想を持つようになる。

・そもそも現世に居場所がないから、理想社会を夢見るわけで。

・左翼がナショナリズムに反対する理由など、本当はないはずです。反対するとしたら、自分たちが政権を持っていない、という一点においてのみですね。

・神話はフィクションかもしれないけど、それを言うなら国民主権だってフィクションです。

・国民主権の論理を突き進めると直接民主主義になります。しかし、直接民主主義は議会主義を否定するということです。

・議会において重要なのは熟議や利害調整であり、ただ単に多数決で決めるというのは知性の否定です。

・ほとんどの人間は自由に耐えることができない。選択肢の多さが幸福度を下げる。

・リベラルであることが許されるのは、ナショナリズムに基づくネイションという拘束があってこそなのです。

・ナショナリズムとは、多様な価値観を強引に共存させる枠組みなわけで、お互いに寛容の心をもって共存していくのがリベラルの真の価値であるなら、ネイションという枠組みを必要とする。

・ジャスティスを掲げて大声をあげ、社会運動を始めるような連中は保守の対極にあるんですね。保守は「正義」を叫ぶ前に「正義とは何か」と考えます。

・アルコールは理性を鈍らせます。その意味では、酒は理性の暴走を防ぐ役割を果たしているのかもしれない。

・学校の教科書では「宗教改革により教会の腐敗が追放された」と教えていますが、むしろ原理主義化してより危険なものになっていく。

・ネイションのはっきりした概念がないところでは、おいそれと民主化はできない。「我々は同じ国民だ」という意識が共有されていなければ民主政治は無理だからです。

・近代以前の戦争でジェノサイドがそれほど起きなかったのは、敵の君主とか宗教上のシンボルさえ破壊すれば敵を完膚なきまでに滅ぼすことができたからです。つまり、皆殺しをする必要はなかった。

・しかし、受け入れられないと言って、自分を束縛しているものを一個一個はずしていくと、最後、自分というものがなくなってしまう。タマネギの「皮」をむき続けていくと何も残らないのと同じです。

・「女性の活躍」というのも気をつけた方がいい。そもそも、家庭に生きることも女性の活躍であることを、まったく想定していない。

・女性が労働力として参加すると何が起きるか。労働人口が増えるから、賃金が上がらなくなる。そのおかげで、企業は人件費を抑えることができ、競争力を強化できる。

・過去を引き合いに出しての「道徳的立場」は、真に道徳的とはいいがたい。

・そもそも、なぜエピジェネティックな現象が起きるかというと、DNAは裸の状態で存在するのではなく、メチル化されたりタンパク質に巻きついたりしており、そうした化学的な状態が親から子に受け継がれるからです。たとえばメチル基が外れたり、タンパク質の巻きつきがほどけたりすると、その状態のまま生殖細胞に行って子供に受け継がれる。それがあたかも遺伝しているように見えるだけなんですね。

・3000年前に個の意識が芽生えた。発掘された資料を調査したところ、約3000年前より前の時代には「自分がこれこれこう思った」という主体的な意思決定の記述がなく、「神の意志によって自分はこれこれこうしている」という記述になっている──というのがその根拠になるそうです。

・統合失調症の患者は「自分はこう考える」ではなく、「誰かが電波で自分を操作している」などと言ったりしますが、3000年以上前なら「神の声」がそれに相当するわけです。

・知性より筋肉に重きを置いていたスパルタ人は、テルモピュライの戦いで「神の声」を聞いてペルシア軍に挑み、300人が全滅しました。

・もしもアメリカが中国人ばかりの国になったら、「日米同盟を強化して中国包囲網を」なんて言っている日本人はどうするんだろう。

・たいていの人間は正邪や正誤よりも勝ち負けに関心がある。勝ちたいという欲望に執着があるのです。

・人間を「伝統指向型」「内部指向型」「他人指向型」に分類します。伝統指向型は、まさに伝統に従う人。内部指向型は、自分の価値観に従って行動する人。他人指向型は、他人に流される人、大衆ですね。

・内部指向型の人とは個人主義者のことのように思われますが、リースマンによると違う。むしろ所属する共同体の価値観を自分の中に持っているからこそ、それに従ってブレずに動けるのだと。他人指向型というの共同体から外れていて個々に分かれているので、他人の振りを見て動くしかない。つまり、誰かに順応しやすい人だと。

・外向性は外の意見をよく聞いて、自分の意思決定は外の意見に左右される、という意味の「外向き」。つまり、同調圧力に対して敏感な性質、ということになります。内向性はその反対です。自分の内なる声をよく聞く。

・最近、左翼は右翼のことを「反知性主義」と揶揄するのが流行っている。自分たちは知性があると自負しているわけですね。しかし左翼が叫ぶ「知性」とは、インテリぶった議論をしているだけで、何を言っているか分からないシロモノですよ。

・私たちは、倫理的に正しい行動を「美しい」と言ったり、自分勝手な行動を「醜い」と言ったりしますね。実際、美醜と正邪を判断しているのは、脳の同じ領域の反応に基づいているわけです。

・他の人間を浅くしか理解できないということは、抽象度が高いイメージを持つことと同じです。浅く一律なパターン化イメージを持つことで安心する。

・自己正当化に全情熱を傾ければ、いつまでもバカが治らない。逆にいえば、自分に都合のいい情報を集積することにより、凝縮されたバカになる。

・日本人は何かというと海外で認められようとしたがる。しかし、認められようとするあまり、すぐパターン化され、陳腐化されてつまらないものになってしまう。

・ハンナ・アレントが『全体主義の起源』で大衆は抽象的観念を以外にも好むと言ってますね。

・集団でいる方が気持ちいいのに、なぜ人々は近代以降どんどん切り離されていったのか? それはおそらく、集団でいることの快感を助長するのが、構成員の誰かを排除する行為だからです。

・一人ひとりが生贄になっていくのです、みんな。そうすると完全にばらばらな状態が最終的には残る。

・左翼は漢字をひらがなに開くのが好きです。「僕」を「ぼく」と書きたがります。

・絶対王政というのは、絶対君主以外は全員平等だから、民主制まであと一歩なわけです。

・人間は20歳から30歳くらいまでに形成した価値観を、その後もずっと持ち続ける。そして、社会で相応の地位を得て実際にその価値観を政策として実現できるようになるのは40代、50代であるため、現実の世界と政策がずれてしまう。

・自然科学の世界では、20年前の議論に固執していたら淘汰されるでしょう。しかし社会科学の世界では往々にしてあることなのです。

・あらゆる経済モデルにおいて、市場は均衡することになっている。ところが、実は需要と供給が均衡するのは貨幣のない、物々交換の世界だけなのです。縄文時代で止まっているのが経済学なのです。

・人間は将来の不確実性に対する準備として、貨幣を貯めるわけです。貨幣でモノを買わずに貯めるということは、モノの供給があっても需要しないということです。だから、不確実性があると、供給を需要は均衡しなくなる。貨幣があるから均衡しないのです。

・古代ギリシャのアリストテレスが提唱した「天動説」や「火・空気・水・土の四大元素」などは、自然科学の世界ではとっくに否定されています。しかし政治哲学の分野では、いまだにアリストテレスがナンバーワンの学者だとして必死に研究している人がいるのです。

・「自分のことは、歯の痛みのように、他人には本当にわかってはもらえないんだ」という人間の根源的な恐ろしさを知らない甘ったれた日本人ほど、安易に「個の自立」だの「近代的な自我の確率」だのと口走り、共同体を破壊するのです。



脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克 (文春新書)

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  • 作者: 中野 剛志
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/01/20
  • メディア: 単行本



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  • メディア: Kindle版



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『森には森の風が吹く』 [☆☆]

・たしかに、苦労や誠実さには頭は下がる。しかし、「やろうと思えば誰でもできること」であるから、驚きや憧れは生まれない。

・「謎」とは観察者が作るものであって、仮説により生じ、仮説によって消えるだけの幻想にほかならない。

・今後は、電子書籍が台頭し、どれが新刊か、いつ発行したのかなど、読者には無関係となり、すべてが「並列」の時代になるはずだ。

・意識したのは、台詞を書かないことだった。人がしゃべっている言葉を「」の中に入れて書かない。そうすることで、事実に近づくことができるように思った。しゃべる様子を書くと、どうしてもリアリティが消えてしまう。芝居がかったものになるからだ。

・人間はいつ死ぬかわからない。どんな約束も期待も、そして経験や思い出も、死によってすべて消えてしまう。常に、それを忘れないこと、覚悟しておくことが大切だと思う。

・エジソンの伝記を読まされたけれど、そんなものよりも、エジソンが発明した技術に関して記述された本の方が、十倍も百倍もエジソンの偉大さを示していた。

・少々やりすぎくらいのものがエンタテインメントとしては面白いらしい。当時TVで圧倒的に人気があったドリフターズをみれば、それがよく理解できた。

・SFでもなんでも、一生読むのに充分な作品数が既に存在している。「需要に供給が追いつかない」というようなことはまずない。この「飽和」の理由は、創作というものが他の製品に比べて「古くならない」からである。否、古くはなるが、腐ることはない。

・言葉の美しさよりも、言葉が示す先にある美しさを、僕は見る。言葉とは、そういう役目のものだと理解している。

・相手を挑発するような攻撃的な硬派ではない。どこからでも攻めてみろ、という防御の硬さなのだ。

・涙を誘い、愛を訴え、懐かしさを装い、そして勇気や平和や自然を賛美する。けれども、別の言葉でいえば、一辺倒に「媚びている」だけにしか見えない。

・現代においては、自然災害で失われる人命よりも、人間が人間を殺す行為で失われる方が多い。

・科学がまだなかった時代には、信仰がすなわち道理だったし、、それがまぎれもない合理だった。

・今残っているレトロなデザインが、そもそもは最先端だった、ということ。クラシックカーも、昔の電化製品も、すべてそれが作られた当時には「最新型」だった。その当時実現できた最先端の技術や新素材を駆使して、斬新な設計がされている。けっして、懐古趣味で昔を懐かしんでデザインされたものではない。

・静止画では簡単に信じてもらえないことでも、動画であれば説得力を持つのは、人間の自然の感性に基づいているからだろう。

・理論通りに動く、すなわち、自分が思った通りになる、という喜びを味わえる。その時に感じるのはまさに「自由」だ。自分が思い描いたものがこの世に現れることは、本当に素晴らしい。

・次々に新技術が登場する中で、少し古いものは見向きもされないから、たちまちノウハウが失われてしまう。気がつくと誰も理解できない、誰もそれを作れない、という事態になっていることが珍しくない。

・理論がかなり難しく、さらに機械的にもやや面倒な部分があるため、技術屋では理屈がわからないし、理論屋では工作できない。両者に通じていないと作れない。

・人間は「可能だ」と知れば、それを作ることができる。少なくともその努力ができる。逆に、作るのをやめるのは、可能性を信じられなくなったときだ。

・誰かと知り合ったとき、その人が過去に何をなしたか、を気にする人と、これから何をしようとしているのか、に興味を持つ人がいる。

・かつて、雑事を気にせず研究に没頭できた時代があった。その過去の遺産で今の大学はどうにか持続しているようだ。まるで、化石燃料を食いつぶすように。

・パズルマニアになってしまった人は、運動好きと同じで、もう頭を動かしていないと気が済まない。

・人間の思考は、自分自身が考えた道筋を何度も通っているうちに、轍がだんだん深くなる。すると、そこから外れにくくなるのである。

・それを知ることによって、新しい疑問が生まれる、何かを作ることができる、というように、次の行動の起点になるものが本当の知識です。

・敬語というのは、正確でなければ駄目というものではない。たとえ間違っていても、それを使おうとした姿勢が大事なのであり、相手には悪く取られない。



森には森の風が吹く

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  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/11/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『ハーバードメディカルスクール式人生を変える集中力』 [☆☆]

・私たちはしょせん、気が散って集中できない世界に暮らしている。

・犬(それに取り乱した飼い主)と接するときの彼のモットーは、「冷静だが毅然と」である。犬をしっかり躾けるには、「冷静で毅然たる態度」が求められる。

・毅然とするとは、「怒ったり攻撃的になるのとは違う。冷静で毅然たる態度とは、常に思いやりを示しつつ密かに主導権を握っていることを指す」という。密かに主導権を握るとは、素敵な言い回しだ。

・ADHDの人は注意力に欠陥があると思われがちだが、全く注意を払えないわけではなく、注意力を制御できない、と説明する方が正しいだろう。頭のスイッチがいったん「オン」か「オフ」になると、それを切り替えるのが難しいのだ。

・彼らは集中できないこともあるが、逆にもっと重要な刺激が目の前にあるのに、他の作業に集中するのをやめられないこともある。

・何か実行するには、まず自分が変わり、古い習慣を捨てて新たな習慣を身につけねばならない。

・変化よりも現状を維持すべき理由が頭に浮かび、それが気になって仕方ないなら変化は諦めよう。たとえ晴天でも、過去の亡霊にまとわりつかれたままでは旅に出られない。

・大人になっても、自分の強みや得意分野を明確に把握している人は3分の1に過ぎない。たいてい、自分の欠点をあげつらう方がはるかに簡単なのだ。

・不安、悲しみ、怒りの3つは「一次感情」と呼ばれ、色の世界の三原色と同じく侵しがたい基本的な感情である。

・問題は何が普通かではなく、あなたにとって何が一番望ましいかです。

・原始的な人間の脳は、大量のツイートやメールを処理するよう設計されてはいない。脳の最大の仕事は、私たちを警戒させ生き延びさせることだ。

・脳の思考を司る部位が活動すると、感情を司る部位を鎮静化する効果が得られる。

・小麦や乳製品などの食品アレルギーが引き起こす体内の炎症が、動揺に似た身体感覚を生むこともある。小麦アレルギーの人は、たとえ少量でも小麦を口にすると興奮や苛立ちを感じる。

・脳には注意力を維持する高度な機構が備わっているが、対応できる分量や持続時間には実は限界がある。ADHD患者の集中力は得てして10~15分であるのに対し、健常な成人集団は約4倍の1時間程度まで集中を保つことができる。

・注意を払うという行為は、必ずしも自動的なプロセスではない。意識的に努力しないと、出来事や情報、経験が記憶から抜け落ちる。

・心理学によると注意の向け方は、目的志向型と刺激駆動型の2種類に分けられる。目的志向型の注意は、内面の目標や願望から主体的に引き起こされる。対して刺激駆動型の注意は、「家事だ」という叫び声やパソコン上のポップアップ画面、水平線で点滅するライト、力強いギターのコードなどに誘発される。

・一般的にイメージと違い、ADHDの子供は何時間でもテレビゲームに集中できる。学校で勉強に集中するのに苦労するのと同じくらい、ゲームから注意をそらすのに苦労することもある。

・抑制こそがADHDの根本的な欠陥と考える以上、抑制制御は、デキる人間を目指す上で考慮すべき重要なプロセスである。

・あなたは、愛情ある頼りになる母親として娘の記憶に残りたいか、それとも小言ばかり言う親という印象を植えつけたいのか? 今は口をつぐみ、一緒に携帯を探してあげよう。

・注意力と記憶力は連携している。作業記憶は課題への集中力に左右されるという。

・マルチタスクは一見無害に思われ、役に立つスキルとして称賛されがちだが、プロジェクトの遅延や作業期間の長期化、成果物の質の低下を招く最大の原因のひとつだ。

・残念ながら、新しい情報のほとんどが急を要するものではなく、重要でさえない。それなのに私たちの脳は、頭を切り替えて「本当にこれは緊急の要件か?」と問いなおす練習を積んでいない。



ハーバードメディカルスクール式 人生を変える集中力

ハーバードメディカルスクール式 人生を変える集中力

  • 作者: ポール ハマーネス
  • 出版社/メーカー: 文響社
  • 発売日: 2017/11/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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