『パンデミックとたたかう』 [☆☆]
・日本では毎年、500万~1000万人の人がインフルエンザに感染しています。ほとんど死亡者の出ない年もありますが、1万~2万人、場合によっては3万人の人が亡くなる年もあります。
・ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。
・一般の人たちがパニックになるよりも、専門家の人たちが怖がっていたり、不安に思っていたり、よく理解していないことがはっきりわかる瞬間の方がよほど怖い気がします。
・アメリカでは、「高齢者たちの命の灯火を消すのがインフルエンザだ」という言い方をします。
・日本では一人ひとりのストーリーが全面に出て、それで世論が動く傾向があります。これから日本でも死者が出てくるようになると、亡くなった方のストーリーが一人歩きをして、それが社会全体の不安を大きくすることになるかもしれません。
・パンデミック対策では常に事態を先取りしてプロアクティブに動く必要があります。ところが、日本のこれまでの対応を見ていると、逆にリアクティブなのです。起きたことに対する対応が主で、これから先に何が起こるかを想定して、それに対して対応するというプロアクティブな動きが必ずしもできていません。
・メディアの報道は当初の騒ぎの反動からなのか、今ではすっかり抑制ぎみです。いたずらに不安を煽る報道は問題ですが、逆に何も報道しないのもまた問題です。
・エイズウイルスの生き残り戦略は「すぐ死なせない」です。ところが、SARSやエボラ出血熱のような新興感染症は重症化するものが多いのです。それは、新興感染症のウイルスが人間に適応していないからです。
・最近では、エボラもSARSもコウモリ由来だったと考えられています。そういえば、狂犬病もコウモリ由来でした。コウモリは、狂犬病ウイルスとよく似たバットリッサウイルスというウイルスも持っています。
・温暖化の問題にあまり興味のない人は、発言者が専門家かどうかということと、その人に熱意があるかどうかということの二つで信頼性を判断する。一方、温暖化に非常に興味を持っていて自分でもいろいろ調べているような人は、専門性や熱意で信頼するように思えるけれども、実はそうではない。自分と同じ意見を持っている人をより信頼する。
・仮にいま自分が「世間は騒ぎ過ぎだ」と感じていたら、やっぱりそういう意見を言うコメンテーターの方を信頼してしまうかもしれない。たとえ別の専門家が「いや、そうじゃないよ」といかに正確なデータで語っても、そちらへの信頼度を下げてしまうかもしれない。
・そもそもアウトブレイクの定義が予期せぬことが起こるということです(More than expected)。
・WHOのリスク・コミュニケーションのトレーニングでは、「絶対にオーバー・アシュアランスをするな(過度に安心させるようなことは言うな)」「大丈夫だと言ってはいけない」と教えられます。
・メディアの報道が減ったり、世間で噂にしなくなったりというのは、ひとつには、もう考えようがないというか、どう考えたらよいのかわからないということもあるでしょうね。「考えてもわからないなら、考えない方がいい」ということなのかもしれません。思考停止してしまうのです。
・トリアージが必要になるような現場で診るわけです。そういうぎりぎりの状況の中で起こる判断ミスに対して非難したり、訴訟を起こしたりすると、現場の人は何もできなくなってしまいます。
・高齢者の方たちが亡くなるのと、妊婦とか、小さな子供とか、働き盛りの若いお父さんやお母さんが亡くなるのとでは、やはり見えてくるものが全然違うはずです。そこの想像力が働いていない。
・「他者への想像力」という感覚は重要ですね。たとえば、「自分がかかったらどうしよう」ということは誰もが考えられる。そこを少しずつ広げていって、自分の家族や友人、職場の人がかかったらどうしようと考えてみる。そういう感覚は非常に大切だと思いますね。
・自分の周りには、直接の知り合いでなくても、感染したら重症化するかもしれない人が必ずいるのだということです。その人たちを守るために、それぞれが何をしなければいけないのか。それを考えてみてください。
・いま「新優生学」というものが出てきているというのです。自分の脳活動や肉体をつくりかえてゆくのは、別に誰にも迷惑をかけるわけでもないし、個人でやる分にはいいでしょうという感じの、個人主義的な優生学が出てくるのではないか。
・ワクチンを接種するのは、集団を守るためというよりも、個人を守るためというコンセプトに変わってきています。
・個人主義を逆手にとって、「街へ出ると危ないよ」「学校は危ないよ」「病院へ行ったら危ないかもしれないよ」というような情報を流していくと、みんな「そうかな?」と思って活動を控えるようになって、それが最終的に地域全体を守ることにつながるということも、もしかしたらあるかもしれません。
・あなたが不安に思っている時は、それ以上に周りはもっと不安かもしれません、自分の不安は5秒間だけ棚上げにして、まずはまわりの不安に対応してあげてください、チームを大切にしてください。
・日本の山里からアメリカへ働きに行くというのはあまりいませんね。ところが、そこがフィリピンの特殊事情で、OFW(Overseas Filipino Workers)の人たちは非常に辺鄙なところからも海外に働きに出て行くのです。
・科学の研究というのは、ワン・コンポーネントなのですよね。未来を構成していくビッグ・ピクチャーのワン・コンポーネント。それを積み重ねていくことによって何かが生まれてくるのです。そういうコンポーネントを束ねて全体をまとめる人がいないと、そのワン・コンポーネントが本当に生かされない。
・ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。
・一般の人たちがパニックになるよりも、専門家の人たちが怖がっていたり、不安に思っていたり、よく理解していないことがはっきりわかる瞬間の方がよほど怖い気がします。
・アメリカでは、「高齢者たちの命の灯火を消すのがインフルエンザだ」という言い方をします。
・日本では一人ひとりのストーリーが全面に出て、それで世論が動く傾向があります。これから日本でも死者が出てくるようになると、亡くなった方のストーリーが一人歩きをして、それが社会全体の不安を大きくすることになるかもしれません。
・パンデミック対策では常に事態を先取りしてプロアクティブに動く必要があります。ところが、日本のこれまでの対応を見ていると、逆にリアクティブなのです。起きたことに対する対応が主で、これから先に何が起こるかを想定して、それに対して対応するというプロアクティブな動きが必ずしもできていません。
・メディアの報道は当初の騒ぎの反動からなのか、今ではすっかり抑制ぎみです。いたずらに不安を煽る報道は問題ですが、逆に何も報道しないのもまた問題です。
・エイズウイルスの生き残り戦略は「すぐ死なせない」です。ところが、SARSやエボラ出血熱のような新興感染症は重症化するものが多いのです。それは、新興感染症のウイルスが人間に適応していないからです。
・最近では、エボラもSARSもコウモリ由来だったと考えられています。そういえば、狂犬病もコウモリ由来でした。コウモリは、狂犬病ウイルスとよく似たバットリッサウイルスというウイルスも持っています。
・温暖化の問題にあまり興味のない人は、発言者が専門家かどうかということと、その人に熱意があるかどうかということの二つで信頼性を判断する。一方、温暖化に非常に興味を持っていて自分でもいろいろ調べているような人は、専門性や熱意で信頼するように思えるけれども、実はそうではない。自分と同じ意見を持っている人をより信頼する。
・仮にいま自分が「世間は騒ぎ過ぎだ」と感じていたら、やっぱりそういう意見を言うコメンテーターの方を信頼してしまうかもしれない。たとえ別の専門家が「いや、そうじゃないよ」といかに正確なデータで語っても、そちらへの信頼度を下げてしまうかもしれない。
・そもそもアウトブレイクの定義が予期せぬことが起こるということです(More than expected)。
・WHOのリスク・コミュニケーションのトレーニングでは、「絶対にオーバー・アシュアランスをするな(過度に安心させるようなことは言うな)」「大丈夫だと言ってはいけない」と教えられます。
・メディアの報道が減ったり、世間で噂にしなくなったりというのは、ひとつには、もう考えようがないというか、どう考えたらよいのかわからないということもあるでしょうね。「考えてもわからないなら、考えない方がいい」ということなのかもしれません。思考停止してしまうのです。
・トリアージが必要になるような現場で診るわけです。そういうぎりぎりの状況の中で起こる判断ミスに対して非難したり、訴訟を起こしたりすると、現場の人は何もできなくなってしまいます。
・高齢者の方たちが亡くなるのと、妊婦とか、小さな子供とか、働き盛りの若いお父さんやお母さんが亡くなるのとでは、やはり見えてくるものが全然違うはずです。そこの想像力が働いていない。
・「他者への想像力」という感覚は重要ですね。たとえば、「自分がかかったらどうしよう」ということは誰もが考えられる。そこを少しずつ広げていって、自分の家族や友人、職場の人がかかったらどうしようと考えてみる。そういう感覚は非常に大切だと思いますね。
・自分の周りには、直接の知り合いでなくても、感染したら重症化するかもしれない人が必ずいるのだということです。その人たちを守るために、それぞれが何をしなければいけないのか。それを考えてみてください。
・いま「新優生学」というものが出てきているというのです。自分の脳活動や肉体をつくりかえてゆくのは、別に誰にも迷惑をかけるわけでもないし、個人でやる分にはいいでしょうという感じの、個人主義的な優生学が出てくるのではないか。
・ワクチンを接種するのは、集団を守るためというよりも、個人を守るためというコンセプトに変わってきています。
・個人主義を逆手にとって、「街へ出ると危ないよ」「学校は危ないよ」「病院へ行ったら危ないかもしれないよ」というような情報を流していくと、みんな「そうかな?」と思って活動を控えるようになって、それが最終的に地域全体を守ることにつながるということも、もしかしたらあるかもしれません。
・あなたが不安に思っている時は、それ以上に周りはもっと不安かもしれません、自分の不安は5秒間だけ棚上げにして、まずはまわりの不安に対応してあげてください、チームを大切にしてください。
・日本の山里からアメリカへ働きに行くというのはあまりいませんね。ところが、そこがフィリピンの特殊事情で、OFW(Overseas Filipino Workers)の人たちは非常に辺鄙なところからも海外に働きに出て行くのです。
・科学の研究というのは、ワン・コンポーネントなのですよね。未来を構成していくビッグ・ピクチャーのワン・コンポーネント。それを積み重ねていくことによって何かが生まれてくるのです。そういうコンポーネントを束ねて全体をまとめる人がいないと、そのワン・コンポーネントが本当に生かされない。
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